ジャケットのボタンが取れたからフロントクラークを部屋に呼び、探させる女。消えてしまったパソコンのデータをホテルマンに再入力させる男。「間違えて」荷物にバスローブが紛れてしまっていないか確認させて欲しいと申し訳なさそうに頼むスタッフに罵声を浴びせるバスローブ泥棒。
大抵の人はこれらホテル客のシーンを観ながら怒りが込み上げてくるだろうが、ミステリーの巨匠・東野圭吾原作最新映画化作品『マスカレード・ホテル』(鈴木雅之監督)の登場人物たちは極めて忍耐強く、礼儀正しく、丁寧に対応する。「ここではお客様がルールを決めるものです」主人公の山岸尚美(長澤まさみ)は言う。山岸の難しい客への対応の仕方は、日本の非の打ち所のないサービス業界の象徴だ。お客様は神様と言うように、どんなに理不尽で不快でも、神経を衰弱させられても、お客様のことは丁重に扱わなくてはならない。
映画『マスカレード・ホテル』を観る私たちは、4つ目の予告連続殺人の犯行現場と推測される一流ホテル「ホテル・コルテシア東京」に招かれる。事件を阻止するため、ベテラン刑事らがホテルスタッフとして潜入捜査を行うことになるが、不審に思われないよう、またホテルの品格を保つため、刑事たちは接客を学びプロとして宿泊客と接することを要求される。ほとんどの刑事が新しい役職にすんなりと収まる中、異端児・新田浩介(木村拓哉)は「問題客」に対しても丁重に接するという考えが理解できず苦戦する。ホテルにいる全員が容疑者という状況の中、新田は周りの人間に疑いの目を向け、常に鋭く観察するが、ストイックな山岸の監督下に置かれ、ホテル客を丁重に扱う彼女の忍耐とプロ意識の理由を理解していく。「刑事の仕事が人を疑う事なら、ホテルマンの仕事はお客様を信じることなんです。」山岸はそのように力説する。
現在では世界に知れ渡るおもてなしの国・日本ならではである。おもてなしの文化は、細かい部分にまで配慮し、相手のために万全を尽くすという茶道の精神が源流と言われており、接客に対する日本人の考え方を代表する。そして世界の人々が日本について感心するのが、この見返りを求めず相手のために尽くす「おもてなし」だ:お辞儀、店などで聞く気持ちの良い挨拶、完璧に考え抜かれた食事、完璧に整えられた布団、職員が気付いてくれる細部の様々なこと-例えば山岸が失くし、ホテルスタッフのおかげで見つけることができたお守りなどだ。
しかし世界に賞賛される日本のおもてなし文化の裏側には、暗い現実がある:善意につけ込む迷惑行為だ。「お客様は神様」というのは1960年代、歌手の三波春夫が使ったフレーズだが、その際の本来の意味とは違う意味を持って広まった。既に人をもてなすことを重んじる文化があったことに加え、戦後経済成長を遂げ、民間部門でも競争が激化した日本では「お客様は神様」という言葉がしっくりくるところがあったのだ。しかしこれは諸刃の剣であり、客であればどんな行為も許されると捉える人も出てきてしまった。労働組合「UAゼンセン」が接客業で働く約5万人を対象に調査*したところ、7割以上が来店客からの迷惑行為に遭遇したことがあると答えた。迷惑行為の種類で多かったのが、暴言、同じ内容を繰り返すクレーム、権威的態度・説教、そして威嚇・脅迫だ。それに対し、迷惑行為を受けた時の対応としては「謝り続けた」が最も多かった。
大した理由もなく激怒した客による迷惑行為が日本で注目されだしたのは、つい最近のことだ。「モンスター客」、そして数年前「カスタマーハラスメント」という言葉が登場したのは、ちょうど「おもてなし」が流行した頃だ。2018年末、40代の男がコンビニの女性店員に土下座させようとしたとして逮捕された。理由は、お釣りを小銭から渡され、紙幣を返してもらえないと思ったからだという。『マスカレード・ホテル』作中でも、客が土下座を強要するシーンが描かれている。
残念なことに、これらのケースは氷山の一角である。しかし、極端なケースが報道されたことで日本の人々の意識は徐々に変わってきた。SNSでは「お客様は神様」問題に踏み込んだレストランの写真が現在もリツイートされている。
「おい、生ビール」…1000円
「生一つ持ってきて」…500円
「すいません。生一つください」…380円
注文の仕方によって値段を変えているのだ。
「お客様は神様ではありません。また、当店のスタッフはお客様の奴隷ではありません。」というのが、レストランの説明だ。
『マスカレード・ホテル』では、おもてなしとその乱用がミステリーの中心、そしてそれを解く鍵となっている。映画版では、おもてなしの美徳や大切さを描く傾向にあるが、東野のベストセラー作品においては、「お客様は神様」文化が奨励されているのか、それとも時に危険をはらむことを忠告しているのか、そこが本当の謎である。

キャスト:木村拓哉、長澤まさみ、松たか子、小日向文世、前田 敦子
監督:鈴木雅之
*参考データ:http://bit.ly/2sXtIy3
文:ローズ・ハネダ