国際交流基金が主催する特集配信企画「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」では、日本の映画文化を支え続けてきた「ミニシアター」に焦点を当て、ミニシアターの支配人から推薦いただいた日本映画を海外向けに無料配信します。
大阪府大阪市にある映画館「シネ・ヌーヴォ」の山崎紀子支配人からは、吉開菜央監督『ほったまるびより』(2021)と加藤紗希監督『距ててて』(2022)の2作品を推薦いただきました。どちらもこれからの日本映画の新機軸を示すような、新しい感性で紡がれた作品です。
今回は、そんな山崎紀子支配人の働く「シネ・ヌーヴォ」に赴き、映画館の来歴や日本映画のいまについてお話を伺いました。
取材・文:月永理絵 撮影:西邑匡弘 編集:国際交流基金
関西地方では、近年新たに開館した場所も含め、個性的な映画館が集まり、独自のミニシアター文化が形成されている。なかでも食の都として知られ、関西を代表する大都市である大阪市では、「テアトル梅田」が2022年9月に惜しまれながら閉館したものの、現在も「シネ・リーブル梅田」、「シネマート心斎橋」、「第七藝術劇場」、「プラネットプラスワン」など、多くの映画館がひしめきあう。また2000年代初頭には、熊切和嘉、山下敦弘、柴田剛、石井裕也など、大阪芸術大学出身の若い監督たちが次々に脚光を浴び、一大ムーブメントとなった。
そんな大阪の映画文化を支える拠点のひとつが、昔ながらの下町情緒があふれる温かな町、大阪市西区九条にある「シネ・ヌーヴォ」。長い商店街を抜けた静かな住宅地で、1997年の開館以来、アート系映画から日本の若手監督たちの映画まで多彩な映画を関西の映画ファンに届けてきた。
山崎:「シネ・ヌーヴォ」は、以前映画館があり、空き物件になっていた場所を大幅に改装する形で開館しました。建物がつくられたのは50年くらい前。もともと映画館だった場所を建て直すことになった際に、映画館を残したまま、その上に住居スペースのマンションとして設計されたそうです。今はこのあたりにある映画館はうちだけになってしまいましたが、九条はかつて西の心斎橋と呼ばれるほど商業地区として栄えた町で、映画館や芝居小屋がたくさんあったそうです。私もこの付近に住み始めて10年くらい経ちますが、大阪の中心地に比べると落ち着いているけれど商店街には活気があり、食べ物屋さんも個人経営の美味しいお店がたくさんあります。とにかく食には困らない町ですね。
一度訪れたら忘れられない個性的な外観と内装を手がけたのは、大阪を拠点に活動していた劇団「維新派」の松本雄吉さん。
山崎: 「維新派」は、公演のたびに何もない更地に劇団員の宿泊所から舞台、客席まで一からつくり、公演が終わったら建てたものも全部撤去して更地に戻す、という活動を続けていた劇団です(松本雄吉さんが2016年に死去した後、劇団は2017年に解散)。松本さんは、「水中の映画館」というコンセプトのもと、シネ・ヌーヴォを一から改装してくれました。玄関にあるバラのオブジェは、住宅街でも目立つように。内装は、劇場の明かりが落ちて映画が始まるときにまるで水中に潜っていくような気分を味わえる、非日常的な空間を目指したそうです。
山崎:松本さんがこの映画館を手がけてくれたのは、シネ・ヌーヴォ代表の景山理さんと一緒に、1987年に京都で「千年シアター」という劇場を建てたのがきっかけでした。景山さんは元々学生時代から映画の上映活動をしていた人で、イエジー・スコリモフスキなど日本では未公開だったポーランド映画などの自主配給をしていたそうです。他にも、「シネマ5」の田井さんや、「シネマテークたかさき」の茂木さんなど、自主上映活動から始めて自分たちの映画館をつくった方々は多いですよね。景山さんは80年代にドキュメンタリー映画作家の小川紳介さんと出会い、その人柄や活動に惚れ込み、彼が率いる小川プロダクションの映画の関西での上映を多く手がけていました。
千年シアターは、小川さんの『1000年刻みの日時計 牧野村物語』(1987)を上映する専用劇場として構想されたもので、椅子や屋根もすべて土や藁でつくり、一ヶ月ほど上映した後にすべて取り壊されました。とてもおもしろい劇場だったものの映画を見る環境としては最適とは言えなかったようで、その再挑戦という感じで、シネ・ヌーヴォをつくる際に松本さんに改装をお願いしたというわけです。
期間限定の映画館、千年シアターの試みから十年後に創立された「シネ・ヌーヴォ」。その前身となったのは、景山さんが1984年から発行していた月刊の映画情報紙『映画新聞』(1999年に廃刊)。
山崎:当時の日本では紹介される機会がほとんどなかったドキュメンタリー映画や海外の映画祭の情報を、大阪から草の根的に発信していく媒体としてつくったのが『映画新聞』です。そこで毎月いろんな映画を紹介したり、監督のインタビューを載せたりしていくなかで、こうした映画を見られる場をつくりたいと、1996年、読者に向けて映画館設立の呼びかけをすることになりました。自分たちの見たい映画を上映する映画館をつくろうと、一口10万円で出資を募ったところ、あっという間に出資者が集まり、そこからはとんとん拍子で話が進んでいったそうです。
開館当初から、「シネ・ヌーヴォ」は洋画・邦画を問わず、他ではあまり上映機会のない映画を次々に上映していった。また日本映画の大々的な特集上映も話題となった。
山崎:東京にあった「三百人劇場」(2006年閉館)と協力してかなり画期的な特集上映を行っていたようです。1999年には、三百人劇場でつくったニュープリントなど20数本を借りてきて、関西では初となる本格的な《成瀬巳喜男レトロスペクティヴ》を開催しました。当時は周りに大手の映画会社や古い興行主さんがたくさんいて、うちは完全に新参者。作品選びには苦労したはずですが、景山さんが『映画新聞』で培った人脈や、上映活動での経験が番組編成に生かされたんだと思います。
「シネ・ヌーヴォ」開館から数年後、山崎さんは、アルバイトスタッフとして働き始める。
山崎:私は専門学校で油絵の勉強をしていたんですが、映画も大好きだったので、繁華街として有名な梅田で吉本興業が運営する映画館でまずバイトを始めたんです。そこは、昼間は新喜劇や落語会などが行われていて、夕方から映画を上映するミニシアターになる、というちょっと変わった映画館でした。同じ場所なのに行うイベントによって雰囲気ががらっと変わるのがおもしろかったですね。結局その映画館は1年半くらいで閉館してしまい、しばらくは学業に専念していたんですが、卒業後はやっぱり映画館で働きたいなと思い、偶然私の父と知り合いだった景山さんの紹介で、シネ・ヌーヴォで働くようになりました。
2008年に支配人になってからは、シネ・ヌーヴォでの上映作品選びは主に山崎さんが手がけるようになる。
山崎:景山さんはここの他に「宝塚シネ・ピピア」という映画館を経営していて、そちらの番組編成は景山さんの担当、シネ・ヌーヴォの編成は基本的に私が担当しています。とはいえ、大島渚監督の特集や、今度開催する女優の太地喜和子さんの特集など、景山さんが「ぜひやりたい」と決めた企画は今もたくさんあります。私も「これは絶対にやりたい!」というものは独断で決めてしまいますが、あまり詳しくないジャンルの映画をかける際は他のスタッフに相談しますし、作品選びはその都度臨機応変に行っています。
映画館を訪れる方々は、開館当時からの常連さんが多いという。
山崎:映画館の会員は現在700〜800人くらいを行ったり来たりしています。劇場に来てくださる顔ぶれでいうと、やはり40〜50代以上の男性客が圧倒的に多いです。うちで上映する映画はなんでも見るよ、という人も一定数いますし、何曜日は必ず5本見る、と決めている方や毎日午後一番の映画を観にくる方とか、常連さんの存在は本当にありがたいです。
山崎さんがシネ・ヌーヴォで働き始めて20年近くが経ち、少しずつ働き方に対する意識も変わってきた。
山崎:若い頃はとにかくこの仕事が好きで、休みも取らずに突っ走ってきましたが、年齢を重ねるうち、徐々に迷いを感じ始めるようになりました。特にコロナ禍で映画館が一斉休館になり、また同時期に、一部の映画館でのハラスメント問題や映画業界の労働環境についての問題が色々明るみに出てきましたよね。それを機に、映画館で働く同世代の友人たちと「今のままの働き方ではだめだね」とよく話すようになったんです。
景山さんたちが全国のミニシアター文化をつくった第一世代だとすると、彼らの下で働き始めて支配人になった私たちは、いわばミニシアター第二世代。その次の世代が出てきてくれるのか、今はまったくわかりませんが、少なくとも若い人たちに「こうはなりたくないね」と思われるような働き方をしていてはいけない。労働環境をよくしていくためには、まず自分たち自身が働き方を変えていく必要があるな、と最近よく考えています。
コロナ禍で起きた変化は、山崎さん個人にとってだけでなく、映画館にとっても大きなものだった。
山崎:2020年に、日本政府から一度目の緊急事態宣言が発出された際(2020年4月7日~5月25日)は、うちも二ヶ月近く休館となり、収入が一気にゼロになってしまいました。この危機を乗り越えるために何かできないか、「京都みなみ会館」の吉田さんと神戸の「元町映画館」の林さんと話しあったところ、「Save our local cinemas」という、関西の映画館を応援する趣旨のTシャツをつくって販売しようという案が生まれました。このプロジェクトは、思いがけず大きな反響を得られました。いろんな監督たちから応援メッセージをいただいたり、お客さんから励ましの言葉をもらったり。Tシャツを買ってくれた人も大勢いました。自分たちがこれまでやってきたことを認めてもらえたんだという実感を得られ、絶対に映画館を復活させようと、力が湧いてきました。
「Save our local cinemas」の運動に続いて立ち上がったのは、映画監督の深田晃司、濱口竜介らが発起人となった「ミニシアターエイド基金」。
山崎:ちょうど「Save our local cinemas」のTシャツの販売期間が終了した後に、ミニシアターエイド基金のクラウドファンディングがスタートしたんですよね。京阪神(京都・大阪・神戸の三都市の総称)にいる人たちからすると、地方の映画館の呼びかけから始まった支援活動がきっかけとなり、今度は監督たちが全国規模で別の活動を立ち上げてくれたように感じて、とても嬉しかったです。プロジェクトに関わった方々にはたくさんの苦労があったでしょうが、全国のミニシアターに現金が行き渡るシステムをつくってくれたのは本当にありがたかったです。「Save our local cinemas」のTシャツの売り上げとミニシアターエイドの寄付金がなければ休館を乗り越えられなかっただろう、という劇場は、決してうちだけではなかったと思います。
映画館に少しずつ客足が戻り始めた2021年、濱口監督の『ドライブ・マイ・カー』と『偶然と想像』が立て続けに公開された。特に『偶然と想像』は、全国のミニシアターを中心に公開されたことでも話題を呼んだ。
山崎:うちでも『偶然と想像』は大人気で、半年以上のロングランとなりました。宝塚シネ・ピピアで上映した『ドライブ・マイ・カー』もものすごくヒットしたようですし、ミニシアターにとって濱口さんはまさに救世主ですね。
それ以前にうちで大ヒットを記録したのは、2000年代に上映したチアン・ウェン監督『鬼が来た!』(2000)、テリー・ジョージ監督『ホテル・ルワンダ』(2004)のほか河瀨直美監督『殯(もがり)の森』(2007)など。2010年以降はなかなかそこまで反響のある作品を上映する機会がつくれていなかったのが、『偶然と想像』で久々に劇場の熱気を感じることになりました。
他にも、コロナ禍で起きた変化が、映画館を前向きな方向に導いてくれたこともあるという。
山崎:コロナで他県に気軽に足を運べなくなった代わりに、オンラインを通じて全国のミニシアターの交流が活発になったんです。きっかけは、「シネマ尾道」の支配人、河本清順さんの呼びかけから。「シネマ・ジャック&ベティ」の梶原さんや「シネマテークたかさき」の志尾さんなど、いろんな地方の映画館の支配人たちが集い、オンラインで気軽に話をするようになりました。以前は年に一回、コミュニティ会議で会って挨拶をするくらいの間柄でしたが、今は月一回、Zoomでの飲み会をするようになり、いろんな話を共有するようになりました。コロナの感染拡大がなければ、こういうミニシアター同士の結びつきは生まれなかったでしょうね。
「Save our local cinemas」のプロジェクトが生まれたように、元々関西地方での映画館の結びつきは強いようだ。
山崎:京阪神にある映画館は、ほぼご近所の感覚です。特に電車一本で行ける距離にある神戸の「元町映画館」とは縁が深く、上映作品についていつも相談しあっています。大阪で撮られた映画があると、「うちで上映するつもりだけど、神戸でも一緒に上映しない?」と相談しますし、元町映画館が製作・配給に関わった映画をうちでかけることもあります。
2019年からは、「シネ・ヌーヴォ」、「元町映画館」、「京都みなみ会館」、「出町座」という関西の4つの映画館が協力し、有望な若手作家によるインディペンデント映画を選び4会場で上映する特集上映《次世代映画ショーケース》がスタートした。
山崎:これは、インディペンデント作品を中心に、映画館の支配人たちが自信を持っておすすめできる映画を紹介する特集上映です。今回推薦した吉開菜央さんの『ほったまるびより』も、《次世代映画ショーケース》でまず上映し、その後一般興行でも上映した作品です。『ほったまるびより』をはじめ吉開さんの作品は短編や中編が中心なので、一般興行として上映するのはなかなか難しい、でもこういう前衛的な映画を紹介する特集の中でならうまく観客にも届けられるんじゃないか、という話から上映が決定しました。
ここ最近の日本映画を見ていると、これまでの伝統的な映画の形とはまったく違う、より自由なスタイルで映画を作り始めた人たちが増えてきた気がします。吉開さんはまさにそういう新しい作家で、振付師やダンサーとして活躍するアーティストであり、映画/アートというジャンルの境界線を大胆に踏み越えた作品を手がけています。
『距ててて』の加藤紗希さんと豊島晴香さんも、元々演劇畑の人だということもあり、「映画はこういうものだ」みたいな枠に囚われず、自由に映画をつくっています。同じく配信作品の『二重のまち/交代地のうたを編む』の小森はるかさんと瀬尾夏美さんも大好きな作家です。こういう、今までとはまったく違う映画をつくりはじめた方たちの活動に、最近強く惹かれるんです。こうした新しい日本映画、この配信を通してぜひいろんな方に見てほしいですね。
山崎紀子
シネ・ヌーヴォ支配人。1977年、大阪府生まれ。2001年、シネ・ヌーヴォに入社、数々の企画上映に携わる。2018年、京阪神の映画館などが中心となった「次世代映画ショーケース」を立ち上げる。2019年より一般社団法人コミュニティシネマセンター理事。
「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」
https://www.jff.jpf.go.jp/watch/independent-cinema/
主 催:国際交流基金(JF)
協 力:一般社団法人コミュニティシネマセンター
実施期間:2022年12月15日 〜 2023年6月15日(6か月間)
配信地域:日本を除く全世界(一部作品に対象外地域あり)
視 聴 料:無料(視聴には要ユーザー登録)
字幕言語:英語、スペイン語(一部作品、日本語字幕あり)
シネ・ヌーヴォ(大阪府大阪市)推薦作品
吉開菜央監督『ほったまるびより』(2021)[配信期間: 2022年12月15日~2023年3月15日 ]
加藤紗希監督『距ててて』(2022)[配信期間: 2023年3月15日~6月15日)]