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ミニシアターを訪ねて: シネマテークたかさき 志尾睦子総支配人インタビュー

Interview

2022/12/15

国際交流基金が主催する特集配信企画「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」では、日本の映画文化を支え続けてきた「ミニシアター」に焦点を当て、ミニシアターの支配人から推薦いただいた日本映画を海外向けに無料配信します。

群馬県高崎市にある映画館「シネマテークたかさき」の志尾睦子総支配人からは、前田悠希『ワンダーウォール 劇場版』(2020)と佐向大『夜を走る』(2022)の2作品をご推薦いただきました。いずれもあちこちで断絶の見られる日本社会の現在を鮮烈に切り取った劇映画です。

今回は、そんな志尾睦子総支配人が働く「シネマテークたかさき」に赴き、映画館の来歴や日本映画のいまについてお話を伺いました。

取材・文:月永理絵  撮影:西邑匡弘 編集:国際交流基金


群馬県高崎駅から歩いて数分の距離にある「シネマテークたかさき」。2004年に開館したこの映画館の壁一面には、これまでに来場した監督や俳優たちのサインがずらりと並んでいる。「地元で多様な映画が見られる場所に」というコンセプトのもと、多種多様な作品を上映してきたこの映画館は、高崎の映画文化の拠点であり、現代の日本映画を支える重要な場所なのだ。

「シネマテークたかさき」の前身は、1987年に開幕して以来、市民はもちろん東京近郊の映画ファンも足繁く通う「高崎映画祭」。規模の大小にとらわれず良質な映画を見抜く力には定評があり、是枝裕和(『幻の光』)、青山真治(『Helpless』)、諏訪敦彦(『2/デュオ』)、西川美和(『蛇イチゴ』)など、監督初期作がこの映画祭で若手グランプリを受賞し、その後世界的な活躍をするようになった映画監督は数多い。

現在、総支配人を務める志尾睦子さんとこの映画館との関わりも、高崎映画祭への参加から始まった。ただし、その出会いはかなり鮮烈なものだったようだ。

志尾:私が高崎映画祭のボランティアスタッフとして応募したのが1999年、映画祭が第13回目の時でした。私は当時地元の大学に通っていて、卒論のテーマを映画にしたところ、友人から「それなら高崎映画祭のボランティアに一緒に応募しない? 卒論の役に立つと思うよ」と誘われたんです。実を言うと、最初はまったく興味が湧きませんでした。高崎映画祭には子供の頃一度親に連れられて行ったけれど、その後は意識にも留めていなかったので。でも友人がせっかく誘ってくれたのに断るのも申し訳なくて、仕方なく彼女について映画祭の事務所に行ってみたら、そこはぼろぼろの古いマンションの一室で、部屋の中は書類やら何やらがもう山積み。次々にやってくるスタッフの方々もみなさん強烈な個性を持った人ばかりで、「こんなところ絶対に無理。早く帰りたい!」とすぐに後悔しました。

シネマテークたかさき総支配人を務める志尾睦子さん

大学生の志尾さんを驚かせた個性派スタッフたち。その中心にいた茂木正男さんは、高崎映画祭のリーダーであり当時からカリスマ的存在だった。

志尾:私が事務所の隅で固まっていたら、のんきそうな様子で入ってきた全身黒ずくめのおじさんが茂木さんでした。満面の笑みで「君はなんでここに来たの?」と聞かれて、よけいに困ってしまって。きっと映画が大好きでここに来たと思われたんでしょうね。自分は卒論を書くために友達に連れられてきただけだなんて言えませんでした。茂木さんはこっちが怯んでいることはまったく気づかず、この映画祭は自分を含めみんながボランティアでやっていることを説明し、スタッフになると大変なことが多いけどやればやっただけ楽しいから、と話してくれました。

こうして嫌々ながら参加することになった志尾さんだが、やがて映画祭スタッフたちの熱気に魅了されていく。

志尾:断る勇気がないまま毎週行われる定例会議に参加するようになったんですが、何度か通ううち、最初は強烈すぎて怖いと思っていたみなさんが実はすごい人たちなんだとわかってきたんです。それまでの私は、映画が好きだと言っても時々シネコンに見に行く程度。ところが、高崎映画祭のスタッフは熱狂的なシネフィルばかりで、事務局に行くといたるところで映画議論が勃発するんです。誰も金銭的な見返りなど求めず、ただただ映画への熱意で成り立っている映画祭。最初こそびっくりしましたけど、段々とそのなかにいるのが楽しくなってきて、話についていくために私も必死で映画を見始めました。

それと、以前は見たい映画があっても高崎の映画館で上映してなければ東京まで行くしかないよねと思っていたのに、そういう映画が実は高崎映画祭でちゃんと上映されていたことにもびっくりしました。自分が知らないだけで、地元にはこんな文化的な場所があった、こんなすごいことをやっている人たちがいたんだ、と衝撃を受けると同時に、どうしてこの映画祭が一般的に認知されていないんだろう、という興味も湧いてきました。その興味に引きずられるように参加しているうち、いつしか自分もスタッフの常連メンバーに加わっていました。

「第17回高崎映画祭」(2004年3月)の様子

「シネマテークたかさき」が開館する前は、年に一回の「高崎映画祭」以外にも、二ヶ月に一回ほどのペースで映画祭スタッフが主催する上映会が開催されていたという。

志尾:元々、映画祭のスタッフは映画の上映活動をしていた人たちなんです。その背景には、1980年後半から東京でミニシアターブームが起こり、高崎でもそこで上映されるアート系の映画を見たいという熱が高まっていったことがあります。当時はビデオも出回っていなかったので、自分たちが見たい映画を見るためには配給会社からフィルムを借りないといけない。フィルムを借りるにはお金がかかるから上映会をして人を集めようと上映活動が始まった。つまり自分たちが映画を「見たい」という欲求から上映活動が始まり、それが段々と、自分たちがいいと思う映画を人に「見せたい」という気持ちに変わっていったんです。映画祭を立ち上げた際も、年に一回のお祭りをしたかったわけではなく、日常的に映画を届ける場をつくりたいと考えていたはず。茂木さんは私が出会った頃からずっと「いつかは映画館をつくりたいんだ」と話していました。

高崎映画祭が地元に根付き始めた頃、ついに念願の映画館がオープンする。2004年7月NPO法人「NPO法人たかさきコミュニティシネマ」を設立。茂木さんが総支配人を務め、支配人は志尾さん、副支配人は同じく映画祭スタッフだった小林栄子さん。さらに映写技師と受付のスタッフを迎え「シネマテークたかさき」が開館した。だが自分たちの納得できる上映作品を確保するには、当初から大きな苦労がつきまとった。

志尾:番組編成は基本的に茂木さんが担当し、劇場のオープニングに上映したい作品をいくつか決めていたんですが、ことごとく配給会社に断られてしまったんです。半年くらい奔走し、最終的にオープニングを飾ったのはホウ・シャオシェン監督の『珈琲時光』(2003)とレア・プール監督の『天国の青い蝶』(2004)。実は『珈琲時光』は高崎で撮影されていて、しかも茂木さんと私が出演しているんです。紆余曲折ありましたが、結果的には、この2作品でオープンを迎えられて本当によかったと思っています。

その後も開館から3年くらいは、映画を貸してもらうのに苦労し続けました。配給会社からは「近くのシネコンで上映した後なら上映してもいいですよ」とか「東京で公開したあと半年か一年くらい間を空けてからなら貸しますよ」とよく言われました。でも私たちがやりたかったのは二番館ではないし、一年も間が空くと本当に見たい人はうちで上映するのを待たず東京まで見に行ってしまう。本当にやりたいタイミングで自分たちの望む映画を上映するのがこんなに難しいとは、と痛感しました。

当時はまだフィルムの時代で、物理的に全国の大都市をまわった後にしか地方にはフィルムを貸し出せないという理由もあったでしょうし、映画の公開本数が今ほど多くなかったので、配給会社も実績のない映画館に貴重な作品を貸すのを躊躇していたのかもしれません。地方のミニシアターという存在自体がまだ珍しかった頃ですしね。

「シネマテークたかさき」開館時(2004年12月)の様子

苦労を重ねながらもどうにか映画館が軌道に乗り始めた頃、大黒柱だった茂木さんが病に倒れ、2008年に亡くなってしまう。茂木さんを喪ったことは、志尾さんをはじめ、関係者全員に大きな悲しみと衝撃を与えた。

志尾:正直なところ、茂木さんが亡くなったらもう映画祭は無くなるだろうなと思いました。私たちはただ茂木さんの後ろをついていっていただけで、茂木さんと同じことができるなんてまったく考えられませんでした。でもボランティアスタッフが支えてきた映画祭とは違って映画館は会社ですから、社員の生活はなんとか守らないといけない。だからといって私が茂木さんの後を引き継いで映画館を経営するなんてとてもできない。それで、NPO法人の理事で企業経営に長けた方にお願いして、うちの経営を引き受けてもらうことしました。

その方は、これを機に経営方針を抜本的に変えないといけないと、立て直しの方法を色々考えてくれました。でも彼が出してくれる案に、私たちは常に反発することになりました。新しいやり方を導入すればたしかに経営は改善するかもしれない。でも茂木さんや私たちがこの映画館に抱いていた信念とはどうしても合わなかったんです。

そうこうしているうちに、心配した茂木さんの友人たちに私が呼び出され「なんでおまえが後を継がないんだ?」と聞かれました。「自分たちの理念を理解している人が映画館を経営しないと、本当にやりたい形ではできないよ」と言うので、「でも私は経営のことは知らないし、このままだと映画館が潰れるんです」と答えたら、「それを支えるのが俺たちなんだ。おまえがやるならみんなで支えるから」と言ってくれたんです。そのとき、私の中ではっきりと覚悟が決まりました。

こうして志尾さんはNPO法人たかさきコミュニティシネマ代表理事に就任。新たな試みにも積極的に挑戦し始める。

志尾:自分たちの信念を曲げずにどうこの映画館を経営していくかを必死で考え始めました。そのためには行政の助けを借りていこうと、市から委託された高崎フィルム・コミッション事業を始めたり、100年以上の歴史を持つ映画館「高崎電気館」の再生事業とその運営に関わるなど、事業展開によって映画館運営をしていく方針に切り替えていきました。

行政との深い結びつきは、もちろん高崎映画祭の実績があってのことだが、元々高崎市は文化都市として名高い場所でもある。戦後すぐに誕生した「高崎交響楽団」は地方オーケストラの草分け的存在で、高崎は「音楽のある街」として有名になる。2019年には大劇場を備えた「高崎芸術劇場」が駅近くに設立された。

志尾:高崎市では毎週のように何かしら文化イベントが開かれてるよね、とよく言われます。たしかに、高崎映画祭をはじめ、高崎音楽祭や高崎マーチングフェスティバル、たかさき絵本フェスティバルなど、ここには何十年も続く市民イベントがいくつもあり、それを行政が支援する体制がきちんとできているんですよね。今の高崎市長は、「シネマテークたかさきは高崎の財産だから」とことあるごとに言ってくれて、コロナ禍でうちが危機に陥ったときにも尽力してくれました。

私たちはあくまで民間の映画館ですが、コミュニティシネマの理念のもと、官民一体となって文化を守っていこう、文化としての映画を市民に届けていこうという思想が根本にあるんです。それを市長も理解してくださっているんだと思います。他の映画館の人たちには、高崎市ほど行政が映画文化に協力的な町はないと驚かれます。市民の方々にも映画を生み出すことへの受け入れ体制がしっかりできていて、フィルム・コミッション活動もすごく活発。実は高崎っていろいろな映画の舞台になっている町でもあるんです。

ちなみにエリック・クー監督の『家族のレシピ』(2017)という映画には、ここから15分くらい歩いたところにある観音山の高崎白衣大観音が出てきますが、あの観音様は高崎に住む人々の生活を守ってくれるシンボル的存在です。あとはこのあたりだと榛名山と榛名湖が有名で、映画のロケ地にもよく使われますね。

高崎駅の正面の大通り、シンフォニーロードに並ぶ高崎映画祭の幟

さまざまな危機を乗り越えてきたシネマテークたかさきで、これまで最もヒットした作品は?

志尾:うちができて初めてのヒット作が荻上直子監督『かもめ食堂』(2005)。その後もしばらく歴代動員数一位を維持していましたが、最近ポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』(2019)にその記録を塗り替えられました。小栗康平監督の『埋もれ木』(2005)も、群馬県で撮影された地域映画として盛り上がりましたね。

事業の運営だけでなく、高崎映画祭とシネマテークたかさきの顔として、各地で講演をしたりコラムやエッセイも多数執筆している志尾さん。映画館で毎月発行している情報紙「シネマテークたかさき スクリーンニュース」では、毎号巻頭コラムを執筆し続けている。

志尾:シネマテークたかさきの支配人を小林に任せて以来、番組編成は彼女に一任していますが、このコラムだけは私が書かせてもらっています。映画の上映形態がフィルムからDCPに切り替わって以降、映画の公開本数が劇的に増え、うちでの上映本数も益々増加傾向にあります。上映本数が増えるとどうしても一本一本をていねいに紹介する機会が減ってしまうので、このコラムでは今月のおすすめという形で一作品を取り上げ、しっかりと内容を紹介するようにしています。ちなみに韓国映画フリークの小林は、韓国映画を上映するときにはいつも、手作りのフリーペーパーを作ってお客さまに配布しています。

「シネマテークたかさき」ロビーの一角。毎月発行しているフリーペーパーのほか、多数の映画作品の記事などが掲示されている。

スタッフには自然と映画好きが集まるそうで、以前働いていたスタッフの中には、その後映画の製作現場で活躍する人たちも多いという。

志尾:最近『フタリノセカイ』(2020)で監督デビューした飯塚花笑さんや、フジテレビの人気ドラマ『Silent』(2022)の脚本を書いた生方美久さんも、以前うちでバイトをしていた方たちです。二人とも最初から映画作りを志していて、東京に出るまでのバイト先としてここを選んでくれたんだと思います。ここで働いていたわけではありませんが、『赤色彗星倶楽部』(2017)の武井佑吏さんや『少女邂逅』(2018)の枝優花さんら若手の監督たちも高崎出身です。

映画に関わる仕事をしたいなと考えている地元の若い子たちが、東京に行かなくてもここなら映画のそばにいられるなと思える場所にしたいというのは、茂木さんがいつも言っていたことなんです。だからここで働いていた人たちがその後映画界で活躍しているのを見ると、ああ18年間頑張ってきてよかった、と心から思います。同時に、この映画館やフィルム・コミッション業務を、東京に行かなくても地元でちゃんと映画の仕事ができる場としても機能させていきたいとも考えています。

最後に、志尾さんが「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」の企画で、海外の方々に向けて推薦した2作品についての話を伺った。

志尾:『夜を走る』も『ワンダーウォール 劇場版』も、大都市とは違う日本の地方都市の雰囲気がよく出ているなという映画です。地方都市ってどこも、山や自然は綺麗だけどとりたてて「ここがすごい」とは言いづらい場所ですよね。そういう意味で、この二作品は「地方ってこういう場所だよね」という感じをすごくリアルに映した映画だなと思います。

志尾さんが「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」に推薦した日本映画『ワンダーウォール 劇場版』(左)、『夜を走る』(右)。

志尾睦子

NPO法人たかさきコミュニティシネマ 代表理事、シネマテークたかさき総支配人。大学在学中に高崎映画祭ボランティア活動に参加する。2004年NPO法人たかさきコミュニティシネマの設立に関わり、群馬県内初のミニシアター、シネマテークたかさきを開館。支配人となる。2008年前代表の逝去に伴い、後を受け継ぐ形で現職となる。


「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」

https://www.jff.jpf.go.jp/watch/independent-cinema/
主  催:国際交流基金(JF)
協 力:一般社団法人コミュニティシネマセンター
実施期間:2022年12月15日 〜 2023年6月15日(6か月間)
配信地域:日本を除く全世界(一部作品に対象外地域あり)
視 聴 料:無料(視聴には要ユーザー登録)
字幕言語:英語、スペイン語(一部作品、日本語字幕あり)

シネマテークたかさき(群馬県高崎市)推薦作品
前田悠希『ワンダーウォール 劇場版』(2020)[配信期間: 2022年12月15日~2023年3月15日 ]
佐向大『夜を走る』(2022)[配信期間: 2023年3月15日~6月15日)]