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ミニシアターを訪ねて: 横浜シネマ・ジャック&ベティ 梶原俊幸支配人インタビュー

Interview

2022/12/22

国際交流基金が主催する特集配信企画「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」では、日本の映画文化を支え続けてきた「ミニシアター」に焦点を当て、ミニシアターの支配人から推薦いただいた日本映画を海外向けに無料配信します。

神奈川県横浜市にある映画館「シネマ・ジャック&ベティ」の梶原俊幸支配人からは奥田裕介監督『誰かの花』(2021)と坪田義史監督『だってしょうがないじゃない』(2019)の2作品を推薦いただきました。いずれも横浜にゆかりをもつ映画監督の作品です。

今回は、そんな梶原俊幸支配人の働く「シネマ・ジャック&ベティ」に赴き、映画館の来歴や日本映画のいまについてお話を伺いました。

取材・文:月永理絵 撮影:西邑匡弘 編集:国際交流基金


古くからの港町として発展した横浜には、赤レンガ倉庫をはじめヨーロッパ風の歴史的建造物が数多くあり、横浜中華街は日本三大中華街の一つとして古くから親しまれている。東京からは電車で30分ほどの距離。異国情緒漂う歴史ある港町として、週末には観光客で大きな賑わいを見せる。

また横浜は数々の名作を生んだ映画の町としても名高い。黒澤明監督『天国と地獄』(1963)の舞台となったのは有名な話。また1986年からテレビドラマが放送され、その後映画も作られた大人気シリーズ『あぶない刑事』も横浜が舞台。日本のハードボイルド映画として人気を博した永瀬正敏主演の『私立探偵 濱マイク』シリーズは、横浜の下町、黄金町周辺を舞台に、1990年代に林海象監督による映画3作品がつくられ、2002年には、青山真治、行定勲、アレックス・コックスら12人の著名な映画監督たちが各1話を監督したテレビドラマ版も製作された。

そんな「映画の町」横浜、黄金町に、「シネマ・ジャック&ベティ」はある。独立系映画はもちろん、個性的な特集上映や映画祭を数々開催しているこのミニシアターは、30年以上「町の映画館」として人気を誇っている。

梶原:昔は本当に映画館が多い町で、横浜だけで30スクリーン以上はあったと聞いています。このあたりにも個性的な劇場が数多くあり、うちの向かいには、映画『私立探偵 濱マイク』シリーズの舞台となったことでも有名な「横浜日劇」(2005年閉館)が、伊勢佐木町には「横浜ニューテアトル」(2018年閉館)やミニシアターとして有名だった「関内アカデミー」(2004年閉館)がありました。

数年前にリニューアルした「横浜シネマリン」も1964年から続く古い劇場です。ただシネコンの台頭と共に、こうした個性的な劇場がどんどん減ってしまい、私たちが「ジャック&ベティ」を引き継いだ2007年頃の横浜は、アート系の作品を上映する映画館はほとんどない状態でした。そこで上映作品を選ぶうえでは、アート系の映画が好きな方々が東京まで行かなくても見られる場所にしたい、というのが一つの基準になりました。どんなお客さんでも来てもらえるよう、国籍・ジャンルを問わず幅広く映画を上映することは、昔も今も変わらず心がけています。

シネマ・ジャック&ベティ支配人の梶原俊幸氏

黄金町で古い歴史を持つジャック&ベティは、元々どんな映画館だったのか。

梶原:創業は1952年。当時は平家建ての二百席以上ある大きな劇場で、「横浜名画座」という名前でした。ハマの名物支配人と呼ばれた福寿祁久雄さんが向かいの「横浜日劇」と「横浜名画座」両方の支配人を務め、地元では「洋画は日劇、邦画は名画座」と親しまれていたようです。

「横浜名画座」が老朽化したのを機に、1991年に建て直してできたのが「シネマ・ジャック&ベティ」。映画館の形は大きく変わり、1階が入り口、2階・3階部分に2スクリーンから成る映画館、その上がマンションになりました。2スクリーンのうち、片方ではチャンバラものなどいわゆる男性が好きそうな映画を、もう片方は女性が好きそうな恋愛映画などを上映するというのが、当時の方針だったそうです。各劇場にも男性と女性を象徴する名前として、当時学校の英語の授業で使用されていた教科書のタイトルから「ジャック」と「ベティ」が付けられています。

左が「ジャック」(97席)、右が「ベティ」(116席)

しかしリニューアルから14年ほど経った頃、映画館に危機が訪れた。

梶原:「中央興業」という運営会社が2005年頃に解体し、横浜や東京で経営していた映画館がすべて閉館してしまったんです。「ジャック&ベティ」も一度閉館したんですが、1991年に建て直したばかりでもったいないと、別の会社が経営に名乗りを上げ再開させました。

出身は東京だが、母方の実家が横浜で子供の頃からよく横浜に遊びに来ていたという梶原さんがジャック&ベティを訪れたのも、この頃のことだった。

梶原:黄金町のあたりは、もともと危ないイメージのある場所だったんですが、2006年頃から、横浜市が中心となって、黄金町を新たにアートのまちにしていこうというプロジェクトが始まったんです。その頃私は、大学の同期だった浅井理央(元副支配人)、そして現副支配人の小林良夫と一緒に、まちづくりの活動に乗り出しました。

当時の黄金町は閑散とした印象だったんですが、それでも昔ながらのどこか怪しげな雰囲気が色濃く残っていて、ここで何か新しい文化の場がつくれたらと思ったんですね。そこでボランティアとして「ジャック&ベティ」を応援する活動を始めたのが、我々とこの映画館の最初の出会いでした。映画の町=横浜を象徴するこの古い映画館を応援できないかと、周囲にある魅力的な場所をブログで紹介したり、映画館のロビーの一角を借りて交流会を開いたり、三人でいろいろな企画をしていたところ、運営会社の方から「いっそのこと、君たちで映画館ごと引き受けてくれないか」と声をかけられたんです。最初はまさか、という感じでした。でも我々が断ったら近いうちにまた映画館が閉まってしまうかもしれない。それはあまりに残念だし、思い切ってやってみようと、2007年3月から我々が「ジャック&ベティ」の運営を引き受けることになりました。

こうして梶原さんたち3人は、新生ジャック&ベティを引き継ぐことに。みなまちづくりへの熱意はあったものの、映画館での仕事に就いた経験はなく、ゼロからの始まりとなった。

梶原:最初はすべてが手探り状態でした。映写技師の方に映写機の操作方法を一から教わり、編成の仕方も元の運営会社の方に教えてもらって。プログラムを考える際は、シネコンではかからない小さいけれど良質な作品を、というコンセプトはもちろんありましたが、加えてなるべく女性の方が関心を持ってくれそうな作品も意識していました。

「横浜名画座」の頃からの名残で、当時はほとんどが男性客。電話対応をしても「女性一人で行っても大丈夫な場所なんでしょうか?」と聞かれたりしました。町の雰囲気は以前と大きく変わっていたとはいえ、やはりまだ物騒なイメージが強かったんでしょうね。一度来てもらえたら不安は払拭されるはずだと、「岩波ホール」(2022年閉館)や「シネスイッチ銀座」、「Bunkamuraル・シネマ」など、女性客が多いことで知られる東京のミニシアターで上映された作品を中心に、女性客を意識してプログラムを組んでいきました。

それでもなかなか軌道に乗らず、数年は本当に苦しい時期が続きました。それが少しずつ変わってきたのは2008年頃から。ニコラウス・ゲイハルター監督の『いのちの食べかた』(2005)というドキュメンタリー映画を上映したところ、思いのほかたくさん観客が入ったんです。良質な映画をかければちゃんとお客さんが来るんだと実感できた貴重な経験でした。

そして一度人が入ると、その方たちがまた別の上映にも来てくれて徐々に観客が増えてきたように思います。大きな転機が訪れたのは2010年、若松孝二監督『キャタピラー』の上映時。主演の寺島しのぶさんがベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したこともあり、連日ものすごい数の人が来てくれて、初めて大ヒットといえる作品になりました。このときの観客動員数はいまだに抜けないうちの歴代最高記録です。

若松孝二監督『キャタピラー』(2010)上映後舞台挨拶の模様。左から、若松孝二監督、出演の寺島しのぶさん、大西信満さん、篠原勝之さん。

ピンク映画出身で、『赤軍 PFLP 世界戦争宣言』(1971)や『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』(2008)など反体制的な映画を数々手がけた若松孝二監督は、日本のミニシアターにとって重要な人物だ。若松プロダクションを設立し、生涯自主製作・自主配給を貫いた若松監督は、自作の上映時には自ら劇場にかけあい、出演者を引き連れ全国のミニシアターを行脚した。

梶原:若松さんはいつも出演者の方々を引き連れて初日に舞台挨拶に来てくれましたね。今は無くなってしまいましたが、ここの一階に中華料理屋があって、そこで打ち上げをして大好きな豚足を食べるのがお気に入りでした。

考えてみると、全国のミニシアターに監督たちによる舞台挨拶やトークショーが定着していったのはやはり2010年頃からじゃないでしょうか。それまでは監督たちが劇場に来るのは都内が中心で、横浜でもあまり一般的ではなかった気がします。

我々が運営を引き受けたあと、当館ではインディペンデント系の作品を上映する際、なるべく監督への舞台挨拶やトークをお願いしていて、そこから懇意になっていった方たちは多いです。2010年には「未来の巨匠たち」という10人の若手監督を特集した上映イベントを開催したんですが、そのときは東京藝術大学大学院を修了したばかりの濱口竜介監督や瀬田なつき監督、映画美学校出身で当時初長編の準備中だった三宅唱監督の作品を上映し、監督たちに連日トークをしていただきました。当時はまだ知られていない有望な若手監督を紹介する、という企画でしたが、今思うとなかなかすごい顔ぶれですよね。

同じ横浜ということもあり、藝大出身の学生さんたちの映画を上映する機会は結構多いと思います(2005年、横浜馬車道に映像研究科が設置)。大学院の課題作品は横浜で撮られることが多いですし、同じ横浜から新しい監督たちが次々生まれているのは、やはり心強いですね。

2010年1月に「シネマ・ジャック&ベティ」で特集上映が組まれた「未来の巨匠たち」ポスター

藝大出身者にかぎらず、ジャック&ベティが懇意にする監督たちには、横浜にゆかりのある方々が多い。

梶原:今回推薦した『誰かの花』の奥田裕介監督は、元々ガチンコ・フィルムと我々とが共催している「横浜インディペンデント・フィルム・フェスティバル」の前身である「横濱HAPPY MUS!C映画祭」に出品されていて、それが縁でこの映画が生まれたんです。奥田監督は横浜出身で、子供の頃からお母さんと一緒にジャック&ベティに通っていたという、我々よりもこの劇場と縁のある方。映画の中にジャック&ベティが登場するわけではないんですが、横浜の団地が主な舞台で、途中で登場するケーキ屋や焼肉屋(客が鉄板や焼網で肉を炙って食べる東洋料理の店。日本や韓国などで親しまれている)もこの近くにあるお店です。

『だってしょうがないじゃない』の坪田義史監督もジャック&ベティのわりと近所に住んでいらして、このへんの飲み屋なんかでもしょっちゅう会うんです。この映画は同じ神奈川に住んでいる発達障害の叔父さんを監督が訪ねていくというドキュメンタリーで、神奈川・横浜の話であり、また今の日本の問題を扱った作品として、海外の方にも興味深く見ていただけたらと思います。

梶原支配人が「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」に推薦した日本映画『誰かの花』(左)、『だってしょうがないじゃない』(右)。

ミニシアターの現状を語るうえで、新型コロナウイルスの感染拡大の影響は切り離せない。2020年4月に全国に緊急事態宣言が出された際には、ジャック&ベティも1ヶ月以上の休館を余儀なくされた。その後も座席数の制限などが続き、一度落ち込んだ観客の数は今も元通りとは言えないという。

一方で、ミニシアターを救おうという動きもすぐに立ち上がった。映画監督の深田晃司、濱口竜介が発起人となり有志で立ち上げたプロジェクト「ミニシアター・エイド基金」はすぐにクラウド・ファンディングをスタート。支援金は最終的に3億3000万円を超え、 118劇場103団体へ分配された。

梶原:あのときは本当にありがたかったですね。何より全国からあれほどの金額が集まったことに驚かされました。他にも、コロナ禍での苦境に動いてくれた監督たちはたくさんいらっしゃって、たとえば入江悠監督は、各劇場のグッズを買って支援にしようとTwitterやブログで呼びかけてくださったんです。それを受けて、我々も劇場のオリジナル応援セットをつくってオンラインショップで販売したところ、2000人くらいの方が買ってくださって、本当に勇気づけられました。

「シネマ・ジャック&ベティ」物販コーナー。上映作品のパンフレットをはじめ、映画館のオリジナルグッズなど、多数の商品が並ぶ

梶原:私としても、それを機に、全国の劇場が連携してミニシアターの良さを伝えていけたらな、とよく考えるようになりました。その一つが、横浜シネマネットワークで始めた地域交流上映会です。同じ横浜にある小さな映画館「横浜シネマリン」や「シネマノヴェチェント」、それから「ヨコハマ・フットボール映画祭」など、映画祭や上映会を運営している方々に加わってもらい、市の助成金を申請して活動を行なっています。

一昨年には広島県尾道市にあるシネマ尾道と交流上映会を行い、尾道が舞台になった映画を横浜で上映し、シネマ尾道の支配人にリモートでトークをしてもらい、一方尾道では横浜を舞台にした映画を上映して私たちが登壇しました。昨年は日本列島本州中西部に位置する関西地方の映画館との交流会を行いました。そうやって、地域の映画館と人々の関わり方、それぞれの劇場の魅力をお互いに勉強していけたらなと考えています。小さな劇場だからこそ、みんなで束になっていろいろ発信していかないと、と思うので。

コロナ禍の前に始まった試みですが、2019年からは韓国の仁川にある映画館ミリム劇場との交流会もスタートしました。仁川と横浜は同じ港町のミニシアターとして共通点が多いこともありぜひ交流企画をやろうと盛り上がり、2019年には韓国にお招きいただき、うちのスタッフや沖田修一監督たちと仁川まで行って上映とトークをしました。その後今度はうちにミリム劇場の方々が来てくださり韓国映画の上映とトークをしていただきました。とても面白い試みだったので、コロナ禍で中断したのが本当にもったいなかったですね。

韓国・仁川の「ミリム劇場」にて、『南極料理人』(2009)上映後に開催された沖田修一監督と観客の交流イベントの模様。

最後に、横浜という町の魅力について聞いてみた。

梶原:横浜は映画の町、と言われるくらい昔から映画やドラマなど本当にいろんな撮影に使われている場所ですよね。やはりいろんなところに昔ながらの港町としての風情が残っているからだと思います。何より、それぞれまったく個性の違う町が徒歩圏内にいくつもあるのが横浜の魅力だと思います。ここから中華街にも歩いていけるし、レトロな街並みや人気のカフェがある元町や海に面した山下公園もある。赤レンガ倉庫のある馬車道もあれば、古くからの小さな飲み屋さんが揃う野毛や吉田町もある。黄金町あたりは外国がルーツの方々が多く住んでいる場所でもあり、多文化と怪しさみたいなものが両方楽しめる界隈です。横浜に来たらぜひいろんな場所を散策してみてほしいですね。

梶原俊幸

シネマ・ジャック&ベティ支配人。1977年、神奈川県生まれ。大学卒業後、学習塾やIT企業勤務を経て、黄金町エリアの町おこし活動に参加したことをきっかけに、2007年、横浜シネマ・ジャック&ベティの運営を引き継ぎ、株式会社エデュイットジャパンを設立、支配人となる。第68回(2019年度)横浜文化賞 文化・芸術奨励賞受賞。


「JFF+ INDEPENDENT CINEMA」

https://www.jff.jpf.go.jp/watch/independent-cinema/
主  催:国際交流基金(JF)
協 力:一般社団法人コミュニティシネマセンター
実施期間:2022年12月15日 〜 2023年6月15日(6か月間)
配信地域:日本を除く全世界(一部作品に対象外地域あり)
視 聴 料:無料(視聴には要ユーザー登録)
字幕言語:英語、スペイン語(一部作品、日本語字幕あり)

シネマ・ジャック&ベティ(神奈川県横浜市)推薦作品
奥田裕介監督 『誰かの花』(2021年)[配信期間: 2022年12月15日~2023年3月15日 ]
坪田義史監督 『だってしょうがないじゃない』(2019年)[配信期間: 2023年3月15日~6月15日)]