1965年、日本初のカラーテレビアニメ作品としてスタートした手塚治虫原作の『ジャングル大帝』シリーズ。子どもたちから圧倒的な人気を獲得し、その後アメリカをはじめ世界中の国々で放送され、現在も根強い人気を誇る。そのテレビシリーズおよび、「オンライン日本映画祭2024」唯一のアニメ映画作品としてもラインナップされている『ジャングル大帝 劇場版』(1966)のチーフ演出を担当したりんたろう(林重行)氏に、『ジャングル大帝』が生まれた当時の時代的な背景から、演出面における狙い、さらに「アニメはツールのひとつ」というアニメ映画に対する自身のスタンスに至るまで、大いに語ってもらった。
取材・文:麦倉正樹 写真:土田凌 編集:森谷美穂(CINRA, Inc.)
テレビアニメがモノクロからカラーに変わった1960年代
──まずは、『ジャングル大帝 劇場版』が公開された1960年代の日本のアニメや漫画業界について教えていただけますか?
りんたろう:いまでも「漫画の神様」と呼ばれている手塚治虫さんが、『鉄腕アトム』や『火の鳥』『リボンの騎士』などを描き、売れっ子の漫画家として日本のカルチャーシーンでオピニオンリーダー的な存在になっていた頃でした。
ただ、手塚さんは、ずっとアニメをつくりたかったんです。それで、「虫プロダクション」というアニメ制作会社を自ら立ち上げて、1963年に日本初の連続テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』をつくりました。僕もそのスタッフのひとりとして関わっていたのですが、当時は日本の各家庭にようやくテレビが行き渡ったような時代で、『鉄腕アトム』は、まだモノクロの作品だったんです。これが子どもたちに支持され、爆発的なヒットを記録した。
りんたろう:そこで次は『ジャングル大帝』のアニメ化に踏みきりました。しかも今度は、全編カラーに挑戦しようということで、1965年に日本初のカラーの連続テレビアニメシリーズとして、『ジャングル大帝』がスタートするんです。その翌年に公開された「劇場版」は、テレビシリーズを再編集しながら、足りないシーンを新しくつくり、一本の長編映画に仕立てた作品です。当時はあまりにも忙しすぎて、どういう経緯でそうなったのかはもう覚えていないのですが(笑)。
──(笑)。その頃は、本名の「林重行」名義でしたが、『ジャングル大帝』におけるりんたろうさんの役割は、どのようなものだったのでしょう?
りんたろう:僕は「チーフ演出」としてテレビシリーズの開始から関わっていました。チーフ演出とは、いまでいうと監督と同じような役割です。絵コンテの作成や作画の確認を行ない、アニメーションに色合いや音響を加えて作品の完成度を担保する責任者です。
『鉄腕アトム』のテレビシリーズの演出を10本ぐらい担当したあと、手塚さんに「『ジャングル大帝』をやってくれないか?」と声をかけられて。それで、山本瑛一ともり・まさき(真崎守)と僕の3人で、『ジャングル大帝』のテレビシリーズの準備に取りかかりました。山本がプロデューサーで、もりがスケジュールや予算などの管理をする制作担当、そして僕がチーフ演出。この作品から、手塚さんではなくプロデューサーが中心となり脚本家や声優などのスタッフを集めて作品をつくる「プロデューサー・システム」を取るようになったんです。
りんたろう:当時はテレビシリーズ『鉄腕アトム』も続いていて、手塚さんは連載漫画もたくさん抱えていた。だから『ジャングル大帝』に関しては、手塚さんはあくまでも「原作者」で、アニメには直接タッチしていないんです。もちろん、アイデアを出したり意見したりはするのですが、それを聞くのはあくまでもプロデューサーのみ。手塚さんの要望の核となる部分を抽出して、プロデューサーが現場に伝えます。だから基本的に、現場ではかなり自由にやることができたように思います。
ジャングルを知らない制作陣が、どう「リアル」を追求した?
──『ジャングル大帝』は、初めてカラーに挑戦した、本格的な連続テレビアニメシリーズだったんですよね。そこにはさまざまな苦労があったのでは?
りんたろう:そうですね。まずはカラー以前に、僕をはじめ当時のスタッフは、みんなそれまで『鉄腕アトム』という、ロボットが活躍する近未来を舞台としたSF作品をつくっていたわけです。それが、ある日突然、アフリカを舞台とした、動物ものをやってくれと言われて。
当時、アフリカに行ったことのある人なんてほとんどいなかったし、日本人にはとても馴染みの薄い場所だった。そもそもアフリカにいる動物の歩き方や走り方なんて誰も知らないし、そんなことを考えたこともなかった(笑)。だからとにかく、できる限りの写真や資料を集めて、毎日動物園に行って、いろいろな動物を片っ端からスケッチしました。また、動物学者に依頼し、毎週レクチャーを受けながら動物の絵と動き方をチェックしてもらうなど、つねに学びながら制作していましたね。
──みなさん手探りのなか、リアルを追求しながら制作をしていたんですね。
りんたろう:わからないながらもできる限りのことはやりたかった。「劇場版」に出てくるバオバブの木など、植物に関してもできるだけ正確に描くように努力しました。
しかも初めてのカラー作品なので、色の調整などテレビ局にいってイチから覚える必要もあった。みんな本当に、家に帰る時間もないぐらい忙しくて。当時僕は25歳で、スタッフも全員20代という若さだったからこそ、できたことだったんだろうなと思います。
──「劇場版」をあらためて観て思いましたが、登場する動物の種類と数が、ものすごく多いですよね。しかも、それぞれが違う動き方をしています。ちなみにりんたろうさんは、チーフ演出として、当時どのあたりにこだわりながら、本作をつくりあげていったのでしょう。
りんたろう:まずはオープニングです。当時のアニメは、ひとつのショットのなかでキャラクターがいかに楽しく動くかに注力していたのですが、このオープニングでは、とにかくカメラワークにこだわりました。
谷のあいだを通り視界が開け、流れ落ちる滝のシーンにつながり、何百羽ものフラミンゴがバーッと飛び立つ。どうしたらアフリカの大地の広大さを表現できるか、一生懸命考えながらつくっていきました。このオープニングは、テレビアニメと「劇場版」両方で使用されています。
子どもの頃から好きだったフランスやイタリア映画がベースにある
──カメラワークにこだわった背景には、何があったのでしょうか。
りんたろう:もともと僕はアニメーターとして虫プロに入ったのですが、実写映画が大好きだったので、それに近い仕事ができる職種として演出を志望していました。実写映画には、短いカットを刻んでつなぎ合わせていく「モンタージュ」という技法があります。それを僕は、アニメでもやってみたかったんです。
僕の頭のなかにあったのは、子どもの頃からずっと見てきたフランス映画やイタリア映画だった。アニメのためのアニメではなく、アニメで「映画」をつくりたい。僕にとってアニメはツールのひとつなんです。
その考えは『AKIRA』(1988)の大友克洋や『PERFECT BLUE』(1998)の今敏も同じでした。彼らと会ったときには、実写映画の話を多くしていました。このストーリーを描くために、監督はなぜこのショットを選んだのか。二人とはそんなことばかりを延々と話していましたから。
──世界で人気の作品を手がけるほかの監督たちにも共通していたんですね。
りんたろう:あと僕の場合は、手塚さんの漫画のコマをそのまま絵コンテに使わないこともこだわりのひとつでした。手塚さんが描くコマって、本当に素晴らしいんです。だけど、僕はそれを意地でも使わなかった。もちろんストーリーがあるから、そのエッセンスはちゃんと汲むのですが、自分が考えた表現で作品をつくりたかったんです。
りんたろう:また、音楽にもこだわりたくて、フルオーケストラの演奏を録音して使っていました。しかも曲の録り溜めなどせずに、アニメの各シーンに合わせて音楽をつけてもらっていた。予算も時間も考えると、いまでは考えられないことです(笑)。
──ものすごく贅沢なことをされていたのですね……。
りんたろう:前例がほとんどなかったので、とにかく実験的なことばかりをやっていました。「劇場版」序盤で主人公のレオが、ひとりで海を泳ぎながらアフリカに向かうシーンがあるのですが、あそこでは、海面に反射する夕日のギラギラ感をどうしても出したくて。美術監督と試行錯誤した挙句、セルロイドシートに12色のマジックで線を引いた画を3、4枚用意して、それを重ねて1ミリずつずらしながら撮影してみました。そうしたら、線が微妙に動くように見えたんです。つくりたいシーンをどうしたらつくれるか、当時の技法にはなかったことも、いろいろとやっていました。
名作映画は、当時の時代背景とともに楽しむ
──最後に、本作をあらためて観る人たち、あるいは今回初めて観る人たちに、何かひと言お願いいたします。
りんたろう:この映画がつくられた時代背景を、想像しながら観てもらえたらうれしいなと思います。たとえば、ジャン=リュック・ゴダールの映画『勝手にしやがれ』(1960)は、予算も技術もなく、スタッフもおらず、映画を撮るためのフィルムすら満足に調達できないような状況のなか、ただ「映画をつくりたい」という強い思いだけでつくられた映画なんですよね。それを理解すると、あの映画の面白さが深まると思うんです。
──当時の時代背景や状況を踏まえたうえで、そこで何をやろうとしたのかを考えることが、過去の作品を見るときには重要であると。
りんたろう:僕はそう思います。その頃僕が夢中になってつくっていた背景には、厳しい条件があった。ただ、厳しい環境だからこそ生まれた表現というのが、きっとあると思っています。
だから、単なる遠い昔の作品としてではなく、作品がつくられた時代背景とともに観てもらえたら、いまでも新しい発見があると思うし、「限られた条件のなかで、自分はいま何ができるんだろう」と考える、ひとつのきっかけにもなるのではないでしょうか。そんなふうに楽しんでもらえたらいいなって思います。
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『ジャングル大帝 劇場版』は「オンライン日本映画祭2024」ラインナップ作品です。
オンライン日本映画祭2024
https://www.jff.jpf.go.jp/watch/jffonline2024/
2024年6月5日(水)正午~19日(水)正午:映画配信
2024年6月19日(水)正午~7月3日(水)正午:テレビドラマ配信
※いずれも日本時間。国・地域によって本作が配信されない場合があります。
りんたろう
1941年生まれ。アニメーション監督。1963年に始まった日本初のテレビ用長編連続アニメ『鉄腕アトム』をはじめ、『ジャングル大帝 劇場版』(1966)、『銀河鉄道999』(1979)、『幻魔大戦』(1983)、『メトロポリス』(2001)などの傑作長編アニメ映画を監督。2024年1月にはフランスで自伝漫画『Ma vie en 24 images par seconde』を出版。