パンデミックという逆風のなかでも多数の映画が一般公開されるなど、日本映画の製作本数は世界屈指の規模を誇る。商業映画からインディペンデント映画まで、独自の審美眼で作品を観客に届けるミニシアターや映画祭は、日本映画の多様性を支える重要な存在だ。
国際交流基金では、そんな日本各地のミニシアターや世界の映画人から推薦を受けた日本映画などを配信する特集「JFF+ INDEPENDENT CINEMA 2023」を8月1日から開始し、「日本文化や社会」を映すインディペンデント映画を含む、日本映画12作品を配信する。
同企画に関連して、本稿では世界の映画関係者7人が近作から選んだ、おすすめのインディペンデントな日本映画を紹介。このうち『ばちらぬん』『テクノブラザーズ』は「JFF+ INDEPENDENT CINEMA 2023」でも配信予定だ(視聴はこちらから)。商業映画と比べてより作家性や実験性が色濃く表れるインディペンデント映画は世界にどう映っているのか? 評論家や映画祭プログラマーなど日本映画をよく知る専門家に綴ってもらった。
編集:後藤美波(CINRA, Inc.) メイン写真:『テクノブラザーズ』 ©大田原愚豚舎
現代日本に生きることへの複雑な問いを投げかける作品群(クリス・フジワラ)
『仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)』(C・W・ウィンター、 アンダース・エドストローム、2020年)
『ケイコ 目を澄ませて』(三宅唱、2022年)
『空に住む』(青山真治、2020年)
日本のインディペンデント映画は、社会批判、ジャンルの壁の破壊、映画の形を探求する場を担っている。深い洞察に基づき、品高くつくられたこの3作品は、現代日本における複雑な問いを映し出す代表的な映画の例である。
C・W・ウィンターとアンダース・エドストローム監督の『仕事と日(塩尻たよこと塩谷の谷間で)』(2020年)は、田舎に住む老夫婦の日常を描く。観る者に忍耐を要する長尺の映画だが、密度の高いディテールと静けさ、そして観察の繊細さがそれに値する映画だ。制作者がこだわって描いた仕事や親密なコミュニケーションのリズムと日常は、独特で豊かな体験をもたらす。
『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)の主人公は、ボクシングでトップを目指すろうの若い女性である。映画は三宅唱監督の張りつめた繊細な演出のもと、細やかで正確な表現とビジュアルにより登場人物の感情の動きを描き出す。ヒロインの身体を鍛えるトレーニングは、彼女が自分の世界の不可解さと美しさを学ぶ旅となっていく。
『空に住む』(2020年)では、出版社に勤める、両親を交通事故で亡くしたばかりの若い女性が、猫とともに高層マンションに入居し、隣に住む有名俳優と交流するようになる。青山真治監督の最後の作品となった本作は、一見落ち着いた透明感のある滑らかな視覚スタイルで展開していく。登場人物たちが抱える虚しさが徐々に現れ始めることで、映画の雰囲気はますます重く、そして柔らかさを増していく。
クリス・フジワラ
映画評論家、プログラマー。映画関連本に著作・編集で携わるほか、新聞や選集、学術誌に多数寄稿。「エディンバラ国際映画祭」の前アーティスティックディレクター。東京のアテネ・フランセ文化センターをはじめとする多くの施設で、映画上映のプログラム制作も担当している。
社会への鋭い視点や映画的実験で観客の心を揺さぶる(マギー・リー)
『戦慄せしめよ』(豊田利晃、2021年)
『ある職場』(舩橋淳、2022年)
『アリ地獄天国』(土屋トカチ、2019年)
パンデミックはミニシアターを襲い、映画産業をよりリスク回避に走らせた。現在は、論議を巻き起こす題材を枠にとらわれない感性で描く自主映画の制作者たちが、過去になく生き生きと活動している時かもしれない。アートシアターのベテランによる2作品を含むこの3作品は、その実験的な表現や力強いメッセージで観客を驚かせる。
豊田利晃監督『蘇りの血』(2009年)は、パンクロックのコンサートを最前列で見るような衝撃がある。催眠術のような手法とエッジの効いたビジュアルに浸る前衛的なスタイルは、佐渡島の有名な太鼓集団「鼓童」を映した台詞のない『戦慄せしめよ』(2021年)でさらに磨きがかっている。
映画はテクノの鬼才・日野浩志郎が書き下ろした音楽で、打楽器の原点を映し出す。木を優しく打つバチも、流れ落ちる滝の前で撮られたワンテイクの大太鼓ソロも、演奏者たちの妙技が観る者の鳥肌を誘う。
『ある職場』(2022年)は、実際に起きた職場でのセクシュアルハラスメント事件をベースにその二次被害を描く。 舩橋淳(『フタバから遠く離れて』、2012年)はもともとドキュメンタリーとして映画制作に着手したが、主題のアイデンティティを守るためにフィクション化した。荒涼とした白黒の映像に即興の台詞で撮影された本作は、ショッキングな展開を含め、心をむしばむようなセクシュアルハラスメントと職場の人間関係が非常にリアルで、つくり物の映画であることを忘れさせる。監督は繊細かつ対立的な手法で、ジェンダーの不平等を妥協のない視点で大胆に描き出した。
『アリ地獄天国』(2019年)は社会問題を扱った映画としては、ここ数年間で最も痛ましい衝撃作の一つであると言うことができるだろう。労働問題に着目したドキュメンタリーを制作する土屋トカチ監督が、労働組合加入後、会社により不当な扱いを受けるようになった営業マンの3年間の闘いを追う。派手な技巧を使わず、主人公の不屈さにひたすら焦点を当てる本作。人間の尊厳と正義を得るための闘いが観客を引き付ける。
マギー・リー
アメリカ合衆国の雑誌『Variety』のアジア映画評論家チーフであり、『Hollywood Reporter』の前アジア評論家チーフ。これまでにも「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」のプロジェクトマネージャー、「東京国際映画祭」のプログラミングコンサルタント(2010年~)、「CinemAsia Film Festival」(アムステルダム)のアーティスティックディレクター(~2018年)、「バンクーバー国際映画祭」のプログラマー(2017年~)を務めている。
日本は、インディペンデント映画にとても優しい国(徐昊辰)
『ばちらぬん』(東盛あいか、2021年)
『裸足で鳴らしてみせろ』(工藤梨穂、2021年)
『由宇子の天秤』(春本雄二郎、2020年)
日本は、インディペンデント映画にとても優しい国だと思う。新人監督を応援し続けるミニシアターや映画祭があり、自主映画の現場をサポートしに行く映画人や、大学生の卒業制作まで見る観客も多い。この現象は、おそらくほかの国ではなかなかないことだろう。
「PFF(ぴあフィルムフェスティバル)」など「若い才能」を発見、紹介、育成する映画祭は、毎年素晴らしい作品を送り出している。2021年に「PFFアワード」グランプリを受賞した『ばちらぬん』(2021年)は、沖縄県与那国島出身の新鋭・東盛あいかによる作品。監督の故郷・与那国島に息づく文化、言語によって、「日本映画」の枠を超えた新しい光景を見せた。
同映画祭で2018年にグランプリを受賞した工藤梨穂監督が、「PFFスカラシップ」作品として制作した『裸足で鳴らしてみせろ』(2021年)は、近年特に印象に残っているインディペンデント映画のひとつ。ウォン・カーウァイ監督へのオマージュを感じさせつつ、肉体の衝突により描いた「愛」は、非常にパワフルで美しい余韻を残す。
近年最も衝撃を受けたインディペンデント映画は、春本雄二郎監督の『由宇子の天秤』(2020年)。精密に構築した脚本はもちろん、ダルデンヌ兄弟やアスガル・ファルハーディー監督に匹敵するような演出力で、世界進出への可能性も感じさせる。
しかし、日本のインディペンデント映画界を取り巻く状況はいいことばかりではない。ビジネス面はうまくいかないことも多く、近年はミニシアターの閉館も続く。配信時代に突入したいま、インディペンデント映画界のシステムも変化を余儀なくされている。
徐昊辰
映画ジャーナリスト。1988年上海生まれ。中国の映画誌『看電影』や日本の映画サイト「映画.com」などへ寄稿するほか、北京電影学院でも不定期に論文を発表。2020年から「上海国際映画祭」プログラミングアドバイザーに就任。オンライン映画トーク番組「活弁シネマ倶楽部」プロデューサー。
独自の道を進むインディペンデント映画作家たちの創造性(マーク・シリング)
『COME & GO カム・アンド・ゴー』(リム・カーワイ、2020年)
『テクノブラザーズ』(渡辺紘文、2023年)
『お嬢ちゃん』(二ノ宮隆太郎、2019年)
インディペンデント映画の分野は長い間、興味深い日本映画の多くを生み出してきた。だが、財政的圧迫により、インディーズ映画を上映するアートハウスの映画館は次々に閉鎖を余儀なくされている。
それでもインディーズ映画の作家たちは頑張っている。マレーシアのリム・カーワイ監督はパンデミック前の時期に、彼自身の第二の故郷である大阪の街に住むアジア人の複雑な人間模様を描いた『COME & GO カム・アンド・ゴー』(2020年)を制作。その視点は、外国人についての映画は興行的に不利であるという業界の常識を無視する、長年の鋭い観察者であり、永遠のアウトサイダーのものであると言えるだろう。
渡辺紘文監督もまた、弟で作曲家の渡辺雄司とタッグを組み、独創的で笑いを誘うミニマルな映画をつくることで独自の道を歩いてきた一人である。渡辺兄弟による最新作『テクノブラザーズ』(2023年)は、ドイツの電子音楽グループ・Kraftwerkと、映画『ブルース・ブラザーズ』(1980年)、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1989年)からインスピレーションを得て、耳に残るテクノビートとともに、日本の音楽ビジネスの厳しい現実をユーモアを持って描き出したオフビートなロードムービーだ。
俳優で、監督でもある二ノ宮隆太郎による2019年の映画『お嬢ちゃん』は、男性による性差別に強く抵抗するカフェ/ラーメン屋のウェイトレス役に萩原みのりを迎え、新境地を開拓した。強いまなざしと物言いの彼女は、日本映画の新しいタイプのヒロインだ。
二宮監督の『逃げきれた夢』(2023年)はフランスのインディペンデント映画普及協会(ACID)により、今年の「カンヌ国際映画祭」の出品作品として選ばれた。日本のインディペンデント映画ビジネスは決して順調とは言えないものの、映画作家たちがいまだクリエイティブに生きていることのさらなる証明であると言えるだろう。
マーク・シリング
日本映画評論家。「ウーディネ・ファーイースト映画祭」の日本担当プログラムアドバイザーを務めるほか、日本を代表する英字新聞『The Japan Times』には30年以上評論文を寄稿。著書に『Art, Cult and Commerce: Japanese Cinema Since 2000』(未邦訳)。
『幾多の北』は、つくられなければいけないという切迫感に満ちたアニメーション(アレックス・オースト)
『ドロステのはてで僕ら』(山口淳太、2020年)
『アイヌモシリ』(福永壮志、2020年)
『幾多の北』(山村浩二、2021)
力強い映画をつくるのに、多額の予算はかならずしも必要ない。重要なのは、良いストーリーをうまく伝えることだ。山口淳太監督の『ドロステのはてで僕ら』(2020年)は、そのことを証明する映画である。映画は「2分先の未来」という題材で厳密にはSF映画であるが、非常にシンプルなアイデアでも観客の興味を失うことなく、エンターテインメント性の高い作品になっている。
近年、日本に住む日本人以外の人々をテーマにした映画が着実に増えており、その多くは最近日本に移住してきた人々を描いたものである。福永壮志監督の『アイヌモシリ』(2020年)は、アイヌの血を引く少年のアイデンティティを描いたバランスの取れたストーリーだ。現代性とアイデンティティの普遍的な問題と同時に、文化固有の要素も搾取的になることなく扱っている。
アニメーションは全く異なる状態にある。大手のアニメスタジオによる予算の高いアニメ作品にならんで、少人数の小さなスタジオによる、より繊細な作品がつくられている。山村浩二監督の『幾多の北』(2021年)は、これ以上ないほど小規模なスタッフでつくられ、音響と音楽以外のすべてを監督が手がけるという、ほぼ一人でのショーのようだ。
監督は、その自由な芸術感覚をフルに活用して芸術家の葛藤と社会の病を描き、魅惑的で夢のような旅を創り出した。日本の多くのインディペンデント映画に当てはまることでもあるが、こうした映画を際立たせているのは、制作しなければならないという切迫感があること、そして限られた予算であるにもかかわらず、あるいはそのおかげかもしれないが、作家の創造性が発揮されるためであろう。
アレックス・オースト
ロッテルダムとアムステルダムで開催される日本文化の祭典であり、2023年に18回目の開催を迎える「カメラジャパン・フェスティバル」のディレクターおよび共同創設者。日本映画をこよなく愛する(なかでもジャンル映画とクラシック映画が好み)一方で、日本産ハードコア・パンクのレコードのコレクターでもあり、日本の中古レコード店巡りが趣味。
日本のインディペンデント映画という希望(洪相鉉)
『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』(星野哲也、2020年)
『水俣曼荼羅』(原一男、2020年)
『ひとりぼっちじゃない』(伊藤ちひろ、2023年)
※順不同
夏目漱石の『こゝろ』を思い出してみる。恋愛譚と誤解されがちなこの物語は、じつは近代の車輪に抵抗する自由精神を日本的に叫んでいる。「heart」と英訳できるタイトルをあえて「kokoro」で表記するようになったのは、日本文化の独自性が広く世界で普遍性を獲得した一例といえる。これは配信業者が溢れるなかで、映画体験の価値を伝えている日本インディペンデント映画も同様である。
まずは『ジャズ喫茶ベイシーSwiftyの譚詩(Ballad)』(2020年)を見よう。デジタル技術とあえて距離を置く同作は、光学のメカニズムにこだわっていた映画技術の盲点を「音響のジャズ的実験」で破る。じつに21世紀版『驚愕』(※ハイドンの交響曲第94番の異名)なのだ。
『水俣曼荼羅』(2020年)はどうか。「鬼才」原一男はなんとドキュメンタリーで善悪のクリシェを壊し、映画的世界で再構成した。
次は文学を映画という共感覚のコミュニケーションに昇華させた『ひとりぼっちじゃない』(2023年)。しかもこの美学的試みが、気鋭の舞台美術家・福島奈央花によるプロダクションデザインとともに行なわれているのは嬉しい限り。
インディペンデント映画をめぐる厳しい市場状況の急な変化は無理かもしれない。それでもつくり手たちは奮闘を続けるはず。そう、いつのまにか日本インディペンデント映画は、世界のシネフィルたちの最後の希望になっているかもしれない。
洪相鉉
韓国映画専門ウェブメディア「CoAR」運営委員。全州国際映画祭ㆍ富川国際ファンタスティック映画祭アドバイザー、高崎映画祭シニアプロデューサー。政治学と映像芸術学の修士学位を持ち、東京大学への留学経験を持つ(パリ経済学校と共同プロジェクトを行なった清水研究室所属)。2008年、プロデュースしたドキュメンタリー映画『For The Islanders』が、済州映画祭開幕作に招待。「CoAR」で連載中の日本映画人インタビューは、トップクラスの人気を誇る。
メインストリームの影に隠れた、ダークな逸品たち(ベンジャミン・イロス)
『VIDEOPHOBIA』(宮崎大祐、2019年)
『メランコリック』(田中征爾、2018年)
『JOINT』(小島央大、2021年)
『ベイビーわるきゅーれ』(阪元裕吾、2021年)
『君に幸あれよ』(櫻井圭佑、2023年)
資金調達が厳しい状況にもかかわらず、多くのインディペンデント映画はそのジャンルのなかで階級闘争や世代間格差、ジェンダー格差といった切実な問題に取り組み続けている。劇場公開を目指すそれらの作品は、予算はあるがややお行儀の悪い長編映画と同等またはそれ以上である。予算が足りないことは、大胆で形式的に洗練され、野心的になれないことの言い訳にはならないのだ。
例えば宮崎大祐監督は2019年にそれまでの最高傑作と言える『VIDEOPHOBIA』(2019年)を発表した。アイデンティティが移ろうインターネット時代の不快なレイプとリベンジの物語は、狡猾で、深く陰湿で黒い非現実的な雰囲気を醸し出している。
その少し前、田中征爾監督が発表したデビュー作『メランコリック』(2018年)は、日本の一流大学を卒業したが社会に馴染むことができない主人公が、出世競争に疑問を持ち始めるという奇妙な犯罪コメディーである。生まれつきリーダーシップを持っている者もいるが、この主人公はそうではない。地元ヤクザのための犯罪現場の後始末という最も忌み嫌われる仕事を通して、彼はついに自分自身と周囲の人間の真実を明らかにすることとなる。
組織犯罪は減少していると言われているが、小島央大監督は2020年、複雑なデジタル詐欺、個人情報窃盗、そして銀行詐欺にリアルに切り込み、このジャンルを生き返らせた。綿密に脚本が構成された『JOINT』(2021年)は、最初から最後まで驚くほど透明で鋭く、スピード感があり、観客を強く引き付ける。
『ベイビーわるきゅーれ』(2021年)もまた、一言では説明できないエンターテインメント性の高い映画である。ギャングコメディー、怠け者の記録、風変わりなコンビのドタバタ劇……さまざまなアイデアで社会常識に対するZ世代のパンクな言葉、いんちきな仕事や権力を描き、力強いガールズパワーが溢れている。体を張ったコメディーは特に低予算の作品ではリスクが高いが、阪元裕吾監督は素晴らしいキャスティングとともにそれを成功させ、二人の女性俳優による強力なコンビを生み出した。
最後に、2023年、櫻井圭佑監督が『君に幸あれよ』で頭角を現した。借金取りの主人公が、自分の行動をすべて映し出す、心優しく知的障害のある新人の担当を任され、自身のインナーチャイルドと向き合うことを余儀なくされる。ある者は運命から逃れられることができない。この映画のダークユーモアの下には、フィルム・ノワールの羅針盤に沿った深い実存的な苦悩がある。
ベンジャミン・イロス
脚本研究家、編集者、批評家、翻訳者。著名な映画スカウト人であったピエール・リシエントと共に、さまざまな分野の映画や監督の名を世に知らしめた。 『カンヌ国際映画祭』の監督週間のプログラマーを10年間務め、現在は「フリブール国際映画祭」と「堤川国際音楽映画祭」の顧問であり、映画制作についてコンサルティングを行なう。