宮沢賢治(1896〜1933)は、数多くの日本人クリエイターに影響を及ぼした詩人・童話作家だ。そんな彼の人生を描いた映画『銀河鉄道の父』が、2024年6月開催の「オンライン日本映画祭 2024」で配信される。
自らの作品に宮沢賢治の世界観を取り入れた後進のクリエイターたちは、彼のどんな点に魅力を感じたのだろうか? 本記事では、『君たちはどう生きるか』『となりのトトロ』といった作品を送り出したスタジオジブリの宮崎駿と高畑勲が、宮沢賢治から受けた影響を考える。
文:杉田俊介 編集:浅井剛志・森谷美穂(CINRA, Inc.) メイン写真:©2022「銀河鉄道の父」製作委員会
スタジオジブリ作品に宿る、宮沢賢治の世界観
スタジオジブリの作品が宮沢賢治の作品や世界観からさまざまな影響を受けている、ということはよく指摘される。たとえば宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』(2001)で、千尋がカオナシとともに電車に乗るシーンは、死者のような乗客の姿もふくめて、多くの人にとって『銀河鉄道の夜』をほうふつとさせるだろう。また『となりのトトロ』(1988)が宮沢賢治の小説『どんぐりと山猫』からインスピレーションを受けていることも有名である。宮崎駿は、三鷹の森ジブリ美術館の構想の前には、「イーハトーブ(宮沢賢治が創作した、架空の地域名。賢治の心象世界中にある理想郷を指す)」を再現するテーマパークを構想していたこともあったという。
『どんぐりと山猫』
宮沢賢治による童話。ある土曜日の夕方、一郎に裁判をする旨の葉書が届く。行ってみると、山猫が裁判長を務め、誰が一番えらいどんぐりかを争っていた。
宮崎駿以外でも、よく知られた事実を挙げれば、高畑勲は多忙な仕事の合間をぬい5年もの歳月をかけて、宮沢賢治の同名小説を原作とした長篇アニメーション『セロ弾きのゴーシュ』(1982)を自主制作している。また『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)でたぬきたちが人間の双子に化けるシーンは、宮沢賢治の『双子の星』を題材にしている。さらに宮崎吾朗監督の『コクリコ坂から』(2011)の劇中歌は、宮沢賢治の詩『生徒諸君に寄せる』を原案としたことなどが知られている。
『セロ弾きのゴーシュ』
宮沢賢治による童話。映画館の楽団の一員である技量の未熟なチェリストが、動物たちとの交流により演奏技術を向上させる。
『双子の星』
宮沢賢治による童話。天の川の西に見える2つの青い星――双子のチュンセ童子とポウセ童子を巡る物語。ある晩、2人は空の乱暴者・ほうき星にだまされ、深い海の底に落ちてしまう。
「自己犠牲」で世界を救う。宮崎駿と宮沢賢治の共通するモチーフ
しかし何よりも、ジブリと宮沢賢治の共鳴といえば、近代的なテクノロジーを経たうえでの、自然に対するアニミズム的な感覚だろう。宮崎は、アニメスタジオとしてのジブリの最大の特徴は、自然の描写の仕方にある、と述べている。次のような自然感覚は、宮崎と宮沢賢治の間で共有されていたのではないか。
それは世界が美しいと思っているからです。人間同士の関係だけが面白いんじゃなくて、世界全体、つまり風景そのもの、気候、時間、光線、植物、水、風、みんな美しいと思うから、出来るだけそれを自分たちの作品のなかに取り込みたいと思って努力しているからだろうと思います。時々、なぜこんなに苦労をするんだろうと思うこともありますけど(笑)。
(文春ジブリ文庫『もののけ姫』所収「海外の記者が宮崎駿監督に問う、『もののけ姫』への四十四の質問」より)
その点では「自己犠牲」という主題も、宮崎駿と宮沢賢治の関係を考えるうえでは重要かもしれない。「ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」(『銀河鉄道の夜』)や「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)などの言葉、あるいは『よだかの星』のような小説作品に代表されるように、自己犠牲という主題は賢治の生涯を貫くモチーフである。
『銀河鉄道の夜』
宮沢賢治の代表作の1つでもある童話。孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語。宮沢賢治の死により未定稿のまま遺された。
『農民芸術概論綱要』
宮沢賢治による芸術論。数々の童話や詩歌によって伝えたかった、理想とする世界を作るための行動指針が書かれている。
『よだかの星』
宮沢賢治による短編小説。醜い鳥のよだかは、その姿からほかの鳥たちから悪口を言われていた。またその名前から鷹に嫌がられ、よだかは名前を変えるように迫られる。
そのなかでも1つの到達点を示すのが、自伝的要素もある『グスコーブドリの伝記』である。
冷害や飢饉にたびたび襲われる世界のなかで、両親から見捨てられ、妹も誘拐されて天涯孤独のブドリは、イーハトーブ火山局に勤め、科学者のクーボー博士のもと、近代科学を懸命に学んだ。そしてブドリが27歳の夏、大きな冷害が地球上を襲うことが予想されると、人々を自然災害から救うために、ブドリは自らの命を犠牲にして、人工的にカルボナード火山を爆発させ、噴き出した炭酸ガスによって地球全体を温暖化させるのである。その姿はアニメ版『風の谷のナウシカ』(1984)のラスト、ある種の宗教的な自己犠牲によって人々や蟲たちを救済するナウシカの姿に重なるだろう。
『グスコーブドリの伝記』
宮沢賢治によって書かれた童話。生前に発表された、数少ない童話の1つ。
これらの物語は、科学的進歩の自己矛盾(進歩と同時に破壊をもたらす)をモーターとしつつ、「共同体や国家を守るために個人がわが身を犠牲・捧げ物にする」というモチーフが中心に埋め込まれているのである。
宮沢賢治作品のアニメ化を悲願としていた高畑勲
ただしジブリ関係者のなかでは、宮崎以上に宮沢賢治の影響を色濃く受けてきたのは、高畑勲のほうだと思われる。8歳か9歳の頃、母親が買ってくれた本を読んで、決定的な影響を受けたという。高畑にとって宮沢賢治の童話は「まるで究極のアニメーション映画、けっして映像化することのできない、心のなかにしか写しだせないアニメーション映画のように迫ってきた」(徳間書店『映画を作りながら考えたこと 2』所収「いつか映像化したい賢治」より)という。
ただし高畑は、宮沢賢治の代表作とされる『よだかの星』『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』などに対しては、違和感があったようだ。過度に倫理的なそれらの作品たちは好きになれない、と。宮沢賢治はむしろ、童話的な小品のほうがすばらしい、と高畑は言う。
これは宮崎駿作品の自己犠牲的なヒロイズムに対する、高畑の違和感とも重なっていたようだ。アニミズム的な感覚から一歩踏み込んで「自己犠牲」のありように関して宮崎駿と宮沢賢治が共通している点がある。しかし、宮崎以上に宮沢賢治に影響を受けた高畑勲は、その「自己犠牲」の精神とは距離を置いたのである。
高畑は、宮沢賢治が友人の保坂嘉内(1896〜1937。日本の詩人)と決別し、その数年後に宮沢が保坂宛に送った手紙のなかの言葉に、賢治の「原点」を読み取っている。それは「うすら濁つた」なかに、しかし楽しく、「たくさんの微生物」が流れている、というビジョンである。高畑によるテキストを引用しよう。
なんと言ったらいいのか、とにかく宮沢賢治の作品の豊富さがここに出ているんです。水晶のように冷たく透きとおった水だけでなく、「うすら濁つた」水のなかに微生物が「たのしく」流れる、その姿。誰も微生物の姿を思い浮かべることもしないだろうときに、いのちの豊かさの根源を見ている。小さいようで万物ですからね。/これが原点というか、宮沢賢治の最良の立場がそこにあるんだなという気がします
(キネマ旬報社『宮沢賢治の映像世界 賢治はほとんど映画だった』所収「自然との深い交感を賢治に見た」より)。
高畑は、何度も宮沢賢治の世界を映像化するためのプランを立てては、それは不可能だ、そんなことはできない、と思い知って、失敗や挫折を繰り返していた。子どもの頃の初心としては、『貝の火』をアニメ化したかったという。のちに、47歳のときに自主制作した『セロ弾きのゴーシュ』は、宮沢賢治作品のなかでも「扱いやすい作品」に過ぎず、あくまでも「とっかかり」にすぎなかったとされる。それだけ宮沢賢治作品のアニメ化は高畑にとって悲願だったのだ。
『貝の火』
宮沢賢治による短編童話。うさぎの子・ホモイが川でひばりの子を助け、そのお礼として「貝の火」という宝珠を手に入れる。ホモイは馬やリスから敬意を払われるうちに、驕りを見せるようになる。
映画『銀河鉄道の父』が提示した、ケアする父親像
高畑をそこまで惹きつけた宮沢賢治とはどんな人物だったのだろうか。宮沢賢治の人生を描いた映画として、『銀河鉄道の父』という作品がある。本作は門井慶喜の小説が原作であり、賢治(菅田将暉)の父である宮沢政次郎(役所広司)の目線を通して、主に父と息子の関係を情緒的に描いている。その点ではアニミズム的な主題などはあまり描かれない。
印象的なのは、政次郎が一貫して「ケアする父親・看病する父親」として描かれ続けることだ(対比的に母親である「いち」の影は作中では基本的に薄い)。政次郎のなかには、息子である賢治に家業の質屋を継いでほしいという家父長制的な願いがある。しかし何度も反発し喧嘩しながらも、政次郎は賢治の気持ちを尊重し、その背中を後押しする。
何より、賢治や賢治の妹・トシが病で倒れたときは、周りから「男子の仕事じゃない」「当主のやることじゃない」と叱責されても、親身になってケア・看病し続けるのである。『銀河鉄道の父』は、「新しい父親」の像をそうしたものとして描写している。それは当時の父親像としても新しいだろうが、現在の父親像としてもやはり新しいのではないだろうか。
賢治のなかのアニミズム的な感覚よりも、父親やトシとの関係を中心に置いたという点は、宮崎駿の作品でいえば『風立ちぬ』(2013)や『君たちはどう生きるか』(2023)を思い出させるだろう。宮崎のなかにもある種の香具師性をもった父親に対する複雑な葛藤が見られるが、しかし宮崎は、『銀河鉄道の父』のようなケアする父、慈愛に満ちた父の姿を描くことは決してなかった。
男性たちにとってもケアすること、他者を配慮することの重要性がさまざまな場面で求められている現代社会のなかで、『銀河鉄道の父』が描いてみせたケアする男性、他者を看病する父親像は貴重なものに思われる。
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『銀河鉄道の父』は「オンライン日本映画祭2024」ラインナップ作品です。
オンライン日本映画祭2024
https://www.jff.jpf.go.jp/watch/jffonline2024/
2024年6月5日(水)正午~19日(水)正午:映画配信
2024年6月19日(水)正午~7月3日(水)正午:テレビドラマ配信
※いずれも日本時間。国・地域によって本作が配信されない場合があります。