日本で「LGBT」という言葉が広く認知されるようになったのは、東京都の2つの自治体が同性カップルを「パートナー」と認める制度を発足した2015年ごろからだといわれている。その頃から、映画やドラマにおいても性的少数者を描く作品が爆発的に増えているが、じつはこのことは、いまに始まったわけではない。歴史を紐解いてみると、木下惠介や小津安二郎などの映画監督が50年以上も前から、異性愛や男女二元論を「普通」とする固定観念に囚われない映画を製作していたことに気がつくのだ。
そんな視点を、あらためて提示したのが2020年から2021年にかけて東京で開催された展示『Inside/Out──映像文化とLGBTQ+』だ。戦後から2020年初頭までの日本の映画とテレビドラマにおけるLGBTQ+表象を、豊富な資料とともに振り返る同展は、映画ファンからも注目を集め、パンフレットが売り切れるほどの人気となった。この記事では『Inside/Out』展を担当した久保豊氏に、展示を企画するなかで見えてきた日本の映像とLGBTQ+の関係や、大切にしている視点を訊いた。
取材:秋田祥 メインビジュアル:岡田成生 テキスト・編集:井戸沼紀美(CINRA, Inc.)
1950年代から描かれていたクィアな存在
——『Inside/Out』展では、戦後すぐから日本映画にクィア(社会の想定する「普通」には含まれない性のあり方)な視点が見られる旨が紹介されていましたが、これは海外でも有名な話なのですか?
久保:性的マイノリティを描いた日本の映画として、松本俊夫監督の『薔薇の葬列』(1969)はよく話題にあがりますが、それ以外の映画についてはあまり知られていないかもしれません。
——『薔薇の葬列』はなぜクィア映画の文脈で有名なのですか?
久保:1960年代の新宿を舞台にゲイボーイの姿を描こうとした点が、当時の日本では画期的だったとされています。作品の冒頭には、それまでのメジャーな商業映画には見られなかったセックスシーンも描かれていますし、直接的な方法で性的マイノリティを描いた作品として当時から賞賛されていたんですね。
——出演者の1人である池畑慎之介さん(2019年以前は「ピーター」の芸名で活動)はテレビ番組にも多数出演されていて、日本での知名度が高い方ですよね。いまの呼び方ならノンバイナリーと呼ばれるような存在ですが、マスメディアではそのことに直接的には触れられずとも、第一線で活躍されていました。
久保:はい。そういった面もふまえ『薔薇の葬列』に影響力があることには間違いないのですが、ぼくには「日本のクィア映画は『薔薇の葬列』だけじゃないよ」と情報発信したい気持ちもあり、それが『Inside/Out』展を企画する1つのきっかけになりました。

——『Inside/Out』展は、いつごろから計画していたのですか?
久保:2018年には「クィア映画と日本」というテーマで何かつくれないかというアイデアを持っていました。ぼくは京都大学の博士後期課程で「映画監督・木下恵介(1912〜1998)の映画を日本のクィア映画史のなかでどういうふうにとらえるか」という論文を書いていたんですね。それで博士後期課程が終わったあとに、より広く現代の映画作家や映画産業も含めて、性的マイノリティのことやジェンダー表象について研究しないといけないなと思ったんです。
——なるほど。展示の冒頭では「クィアな読みもできる作品」として小津安二郎(1903〜1963)や川島雄三(1918〜1963)とともに木下惠介の作品が紹介されていました。
久保:はい。展示では映画批評家のロビン・ウッドや映画研究者の菅野優香によって登場人物のレズビアン性が分析された小津安二郎の『晩春』(1949)『麦秋』(1951)『東京物語』(1953)や、映画評論家の石原郁子が「メジャーの日本映画において初めてゲイ男性を描いた作品」としている木下惠介の『惜春鳥』(1959)などを紹介しています。
『惜春鳥』には足の不自由な登場人物がいるのですが、彼が故郷に戻ってくる同級生の男性に対して、明らかに何かしらの強い感情を持っている様子が描かれているんです。ぼく自身も、その表現をどうとらえるかということにすごく興味を惹かれました。
同性愛を彷彿とさせる描写があっても、木下惠介はどの作品でも「同性愛」という言葉を使いません。「同性愛」という言葉じたいは、たとえば若尾文子主演の『十代の性典』(1953)など、1950年代初頭から使われ始めていることが確認されています。しかし木下はそれを使わなかった。言葉を使わず、演出や言葉遣い、身振り、映画技法で観客たちに「あれは同性愛者なんじゃないか」と推測させているわけです。
——『惜春鳥』を明確に「初めてのゲイ映画」と表現することへの懸念はありますか?
久保:そうですね。石原さんの批評に関していえば、「メジャーの日本映画のなかで」という部分こそ重要な意味を持つのだと思います。49作品もの映画を手掛けた人気監督の木下惠介が「同性愛とも読めるような表象」をしていたという指摘自体が重要なのです。
また、木下惠介をめぐっては監督自身が同性愛者であったのではないかと説く人もいます。私が知る限りでは本人が明確に公言したことはなく、石原さんも「木下がゲイであったとしたら」と仮定した論考をされていますが、断定することはありませんでした。この部分に関しては……ぼく自身も慎重にならないといけないなと感じているものの、もし彼が同性愛者なのだとしたら、どのようにそれをオープンにしながら映画を撮っていたのかというところに興味がありますね。
LGBTQ+を描く作品が増えても、状況が前進しているとは限らない
——戦後から現代までの日本の映像をクィアの視点から読み直すにあたり、女性の同性愛者の描かれ方については何か発見がありましたか?
久保:少なくとも今回の『Inside/Out』展での調査では、1950年代の日本映画において同性愛者を描く場合、男性よりも女性のほうが多く描かれていたということがわかりました。
ただ、当時の女性同性愛者の描かれ方として、必ずといっていいほど男性が出てくるという特徴があります。2人の女性の関係が、男性1人によって崩壊させられるとか、あるいは「結婚しないといけない」という理由で女性が男性のほうになびいていくとか。1人になった女性は、やはり他国のレズビアン映画と同じく、狂気的、あるいは悲劇的に描かれています。
——性的マイノリティの人たちが、当時どんなふうに作品を受け止めていたかも気になりますね。主流メディアではクィアな存在が映される機会が明らかに少なかったでしょうから、自分たちに向けられた映像を求めていた人たちもいたんだろうなと想像します。
性的マイノリティの存在を描いた作品の数が増えたのは、いつ頃なのでしょうか?
久保:日本では、女性誌『CREA』の特集が火付け役となり、雑誌やラジオなどさまざまな媒体で男性同性愛者がとりあげられる「ゲイブーム」が起こった1990年代頃、同性愛者を描くたくさんの映像作品がつくられました。第1回『東京国際レズビアン&ゲイ・フィルム&ビデオ・フェスティバル』が開催されたのも1992年です。2000年代の後半になると、男性同士の同性愛を取り扱ったいわゆる「ボーイズラブ」の漫画が頻繁に映像化される流れもありましたね。
久保:そして2010年代には大手メディアが「LGBT」という言葉をビジネス戦略のターゲットとして使い始めるようになり、日本社会においていわゆる「LGBTブーム」が起きたというわけです。そんな状況を受けて、性的マイノリティを描く映像作品の数も爆発的に増えたわけですが、重要なのは、性的マイノリティを描く作品は直線的に増え続けてきたのではないということ。映像産業をとりまく状況や、社会における性的マイノリティの人たちの立場、権利運動の動きなど、そういった複合的な条件のなかで、クィアな存在を描く作品の数は増えたり減ったりしています。
——たとえ作品が増えたとしても、性的マイノリティをめぐる状況が「前進」しているとは限らないですよね。
久保:おっしゃるとおりです。ぼくも展示を企画するうえで、性的マイノリティを描く作品の量が増えることが「前進」ではないという想いが強くありました。
残念ながら現代には、「一般受けするから」と性的マイノリティにまつわる作品をつくっている人もいます。ぼくは制作者たちのセクシュアル・オリエンテーションやジェンダー・アイデンティティを問う必要はないと思っていますが、それでもやはり「ヒットするから」という動機で、当事者の声や存在を意識することなく性的マイノリティの表象を利用される状況は残念に思います。
ましてYouTubeや動画配信プラットフォームなどを通して、気軽に作品にアクセスできる時代です。若い人たち、特に10代の多感な人たちがそういった作品をふいに目にして悲しんだりするのは嫌なんです。だからぼくたち映画研究者や映画批評家はそういった作品に対してやはり批判を含んだ批評をしなければいけないと思います。
想像、勉強、批評。LGBTQ+の表象を考えるうえで大切なこと
——LGBTQ+をどう描くかというテーマは、LGBTQ+の人たちの人権や生活にも直結していますから、一過性の「ブーム」ではないかたちで、声をあげたり作品をつくったり、表象の仕方について批判をすることが大事ですね。
久保:その点はすごく重要だと思います。『Inside/Out』展を開催したときに、さまざまな媒体から「私たちには何ができますか?」と質問されました。そのときにぼくが必ず言ったのは「しっかり批評してください」ということです。批評するためには、まず勉強をしなければなりませんから。
「LGBTブーム」も、「性的マイノリティの表象が増えていますよね、素晴らしいです」という話で終わらせてはいけない。そのブームがどういう歴史の上に成り立っていて、これまでの歴史を軽視していないかというところまで考えられるようになりたいですね。

——歴史を振り返るときに重要なのは「想像すること」ですよね。人類は歴史を完全に記録することはできないからこそ、その隙間を想像することが自分たちに課せられた役目なんだと思います。
久保:そうですね。その考え方は、1990年代初頭の「ニュー・クィア・シネマ」にも通じると思います。性的マイノリティの欲望や物語を堂々と、ときに激しく描いた作品群が国際映画祭で評価され、「ニュー・クィア・シネマ」と名づけられました。これにより、1990年代以前に描かれたさまざまな性の表象も「クィアなもの」として再発見されることが可能になった。つまり、彼女ら・彼らの映画が歴史を再構築したようなイメージです。
歴史を再構築しようとするときに必要になるのが、いま秋田さんがおっしゃった想像力だと思うんですね。石原郁子さんが『惜春鳥』を「初めてゲイ男性を描いた作品だ」と書いたことで木下作品の見方が広がったように、現代の観客として「どういった過去がありえたのか」を想像すること。それが『Inside/Out』展でやりたかったことでもあり、自分自身の研究でも大切にしている視点です。

久保:最後につけ加えると、『Inside/Out』展をやって本当に良かったなと思うことが1つありました。展示には、来場者が自由にメッセージを書き込めるスペースがあったんですが、ある方はそこに書き込むのではなく、スタッフに直接話しかけてくれたんです。ご自身も性的マイノリティの当事者で、若くしてたくさんの出来事を経験したとおっしゃっていました。『Inside/Out』展にも「自分が悲しくなるような歴史しか書かれていないのかな」と想像していたそうです。
しかし展示を見終えたあとでその方が言ってくださったのは「生きていて良かったと思えた」ということでした。若い人たちが「生きていける感覚」は、ぼくがすごく大事にしたいものです。性的マイノリティをめぐる日本の状況は非常に悪いですが、良い作品が出ることで勇気づけられる人は少なからずいると信じています。近年では東海林毅監督の『片袖の魚』(2021)など、トランスジェンダーの役をトランスジェンダーの役者がオーディションを経て主演する作品も日本から生まれています。ですから、映画やドラマをつくったり、上映をしたり、論じたりする人がどんどん増えれば良いなと願っています。
久保 豊(くぼ ゆたか)
専門は映画研究、クィア批評。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教を経て、現在金沢大学准教授。論文に、“Still Grieving: Mobility and Absence in Post—3/11 Mourning Films”(Journal of Japanese and Korean Cinema 11[1]、2019)、「毒々しく咲く薔薇の政治性─1990年代の小林悟作品に見るHIV/エイズに対するスティグマの可視化と無縁化」(『演劇研究』第43号、2020年)などがある。